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柄本佑本人は刑事・五代をどう分析したか
先ほどは「和真と美令が物語の中心」と記しましたが、原作小説でも映画でも「第3の主人公」と言える刑事・五代も重要です。
映画『麦秋』の意図は?
そんな五代が、小津安二郎監督の映画『麦秋』を映画館で観るシーンがあります。SCREEN ONLINEのインタビュー記事に掲載されている岸善幸監督の弁によると、ここには「五代の人柄を見せるために大切な場面」「泣ける映画を観ている五代」「映画館で何を見るのかということも、その人物を表す要素になる」と想定した上で、「映画の中では、周囲のお客さんが涙を流している。でも五代は、刑事として見てきたものがあるから、簡単には泣けない。そこに彼の抱えているものが表れるのではないかと思いました」という意図があったのだとか。
その『麦秋』で描かれるのは「娘の結婚をきっかけとした」物語で、殺人事件を中心に据えた今回の『白鳥とコウモリ』とは似ていないように思えるかもしれません。
しかし、筆者個人としては「家族の関係が以前とは決定的に変わってしまう」様、もっと言えば「変わらないものは何ひとつとしてない」と突きつけるような”無常さ”は、両者で一致しているように思えました。
『白鳥とコウモリ』のタイトルの意味は?
最後に、『白鳥とコウモリ』というタイトルの意味について記しておきましょう。今回の映画でははっきりと語られませんでしたが、原作小説では文庫版の下巻で、和真と美令の関係が「加害者側と被害者側、立場上は敵同士だが、目的は同じ」であること前提に、「光と影、昼と夜、まるで白鳥とコウモリが一緒に空を飛ぼうって話だ」と皮肉めいた分析をされる記述があります。
その通り、本来であれば出会うことすらなかったはずの、正反対の2人が同じ目的で先を見据えるからこそのタイトルなのですが……原作小説の終盤では「白鳥とコウモリ」の関係について、「奇跡みたいな」「夢」とさえ例えられる、さらなる解釈もあるので、ぜひ読んでいただきたいです。 さらに、前述した『麦秋』のような残酷なまでの無常さ、はたまた殺人という罪がどれほど重く、拭い去れないものかと容赦無く突き付けられている一方で、ラストでは確かな希望も提示されています。その時の「表情」からも、「白鳥とコウモリ」というタイトルに、思いをめぐらせてみてください。
この記事の執筆者:
ヒナタカ
映画 ガイド
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
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