有村架純演じる2児の母が犯罪者に。「リアルで生々しい」理由も
例えば、有村架純が演じる専業主婦である2児の母・和歌子は、自身の夫が会社の金を横領するばかりか昏睡状態になったために困窮。「誰でもできる簡単なお仕事です」と電話口で言われた通りにシンガポールへ向かうことになります。あまつさえ幼い2人の子どもを連れていることまでも「3人分運べばいい」という理由で「許容」されてしまうのです。
しかし、実際の事件でも「普通の主婦やパート」が犯罪に手を出していたのは事実です。それまでの過程は「あっさり」としていたりもするけど、側から見れば「異常極まりない」ものなのかもしれない……などとも想像できるでしょう。
そして、有村架純のキャスティングは、製作陣が「他の方は考えていなかった」と口をそろえていたのだとか。天野監督も「有村さんは、柔らかく見えて揺るぎない芯を持っている印象がありました。和歌子の変化していく過程を説得力をもって見せられると思い、お願いしました」と配役の理由を語っています。
南沙良が体現する「どうにもならなくても意志が強い」妊婦
そんな有村架純演じる2児の母・和歌子について、天野監督は「もしかすると同じ主婦として、どこかで自分を重ねていたのかもしれません」と語っているのですが、さらに南沙良演じる、毒親を持ちキャバクラで働く未婚の妊婦・麻由も、監督自身と共通していたところがあったのでしょう。
その通りで、和歌子は幼い子どもを連れていて、麻由は妊婦であるからこそ、空港のスタッフに気遣われており、皮肉にもそのことが「密輸犯だと疑われない」理由になっているようにさえ見えます。それらはもちろん社会にある優しい視線によるものですが、同時に「弱者というカテゴライズ」、もっといえば「1人の人間として見ない」ことにもつながるのでしょう。
劇中ではその天野監督の意志が、「1人の人間として捉える」形ではっきりと描かれています。何しろ麻由は「優柔不断な和歌子(有村架純)に対してはっきりと意志が強い人物」です。天野監督が語る通り「貧困が連鎖している家庭に育ち、本人は強く生きていて自分を卑下してはいないけれど、やっぱり家庭の貧困問題から逃れられない」と、劇中からは「(意志が強くても)どうにもならない」焦燥感や絶望も伝わってきます。
黒木華は「関西弁ネイティブ」にも貢献。非正規雇用の研究員の焦燥感が反映されていた
さらに、黒木華演じる、奨学金の返済に追われ後輩の出世をうらやむ非正規雇用の研究員・研究員・清恵というキャラクターについて、天野監督は自身が大学の研究室でバイトしていた際の見聞から生まれたと明言しています。
しかも、黒木華自身が「関西弁ネイティブ」としてセリフをよりナチュラルにアレンジするなど、キャラクター作りに貢献していたのだとか。
「罪が軽かった」「簡単だった」からこそ犯罪行為をエスカレートしてしまう皮肉
「金の密輸」というそれだけを聞くと重大に思える犯罪に対して、劇中では「大したことじゃない」「そんなに悪いことじゃない」という「言い訳」をたびたびしており、それは彼女たちがさらなる「深み」にハマってしまったという理由につながっています。
さらには、「お金ってさ、あるところには腐るほどあるのに、社会の仕組みがクソやから、こっちまで回ってこうへんねん」「少しズルしても…まぁ、ズルしないと、割にあわへんて」というセリフも、貧困にまつわる普遍的な事実として、共感「してしまう」ところもあるのです。
しかも、天野監督によると、2017年当時は密輸さえも「申告漏れ」という扱いとなり、初犯かつその場で申告して税金を払えば、ペナルティは多少の罰金くらいで金も返してもらえたそうです(2026年の今ではもちろん改正済み)。
思えば、現在大きな問題になっている「闇バイト」も、「リスクの低さ」はもとより「大したことじゃない」などと罪の軽さを吹聴することで、安易に手を出してしまった例は間違いなくあります。
映画の着想元の実際の事件が「組織的・職業的犯行」であると指摘されたことと同じように、劇中の彼女たちは雇われる側ではなく、自ら率先してさらなる金の密輸に手を出してしまうのです。
もちろん、その過程を、ましてや犯罪を安易に肯定するはずはありません。終盤の展開はむしろ、犯罪に対して「これでもか」と「NO」を突きつける展開が待っており、本作を見て自分も金の密輸をしてみたいと思う人は、まず存在しないでしょう。
本作は、「罪が軽かった」「簡単だった」からこそ犯罪行為をエスカレートしてしまう皮肉と問題をも、まざまざと描いているのです。



