5:残酷な世界における「善意」の物語
『前章』と『後章』は、どちらも異常な世界の中での若者たちの日常の青春がほのぼのと描かれていること、そして「正義の暴走」が共通して描かれています。『前章』では小学生時代の苛烈ないじめや、その後の凄惨な出来事において。『後章』では侵略者を虐殺している人間たちが、それを「正しい」と信じようとしていることにも、胸が締め付けられます。そうした正義や悪意のない行動は、さらに悪い結果を生んでしまうかもしれない。それに伴って、周りでは悲劇的な出来事が波及していき、それに自分も加担してしまうかもしれない。
そのような、現実にある問題を鮮烈に描きつつも、それでもなお「善意」そのものを肯定する物語であること。そのことに本作の大きな意義があります。 おんたんが門出のためにしたこと。門出にとっておんたんが「絶対」になったこと。その2人のことを知った他のキャラクターそれぞれの行動と、それぞれの思いが積み重なったこと。
そうした善意が描かれた先に待ち受けていた、「原作とは異なるクライマックスとラスト」で提示された希望にもう涙をポロポロとこぼすしかありませんでした。その改変が、原作の精神をないがしろにしていないどころか、原作にあった「優しさ」をより浮かび上がらせたというのも驚異的!
それは、「誰かを守ろうとする」、ただただそれだけの、人としての尊い感情でもあります。それを世界の在り方とてんびんにかけるような行動原理から、いわゆる「セカイ系」の作品群、特に『天気の子』を思い出す人も多いでしょう。さらに、善意によって全てが簡単に解決するはずもないと、やはり冷静かつ残酷な視点を忘れていないことにも、むしろ誠実さを感じました。
脚本家の吉田玲子は、今回の脚本を手掛けるにあたって、「現実でも災害や事件が起こる中、明日が見えない、未来が分からない、いつ何が起こるか分からない毎日を生きていかざるを得ない、そういう主人公たちの立場や状況が、自分たちにも重ねて見ることができる作品になるのでは」と考えていたそうです。
その上で、吉田玲子はこうも語っています。「凰蘭と門出たちはこんなに先が見えない、もしかしたら明日全てが終わってしまうかもしれない世の中を生きていく。これは私たちも同じだと思うのですが、その中でも生きていかなければならない時、何か大切なものがないと迷ってしまったり心が折れてしまう。門出と凰蘭にとっては2人の絆なのかもしれませんが、それが自分にとって何なのか。自分にとってこの世界を生きていく上で大切なことは何かということを感じて、考えていただければと思います」と。 この言葉通り、本作は、ただ生きるのも大変で残酷な世界において、人それぞれが生きていく上で大切なことを、友情を超えた「絶対」の関係性を築く物語から今一度問いかけてくれます。なんと尊く、やはり希望に満ちた物語なのでしょうか。
また、『デデデデ 後章』が描いていることの本質は、5月24日より本作と同時公開されている、同じく「平和に思える日常のすぐそばで起こる虐殺」を描いた映画『関心領域』で描かれた問題の「アンサー」の1つとさえ思えます。もちろん、作品のアプローチは全く異なりますし偶然なのですが、だからこそ合わせて見ると、より現実の問題を考えるきっかけにもなるでしょう。
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オールタイムベスト級の大傑作に
さらに、幾田りらとあのを筆頭とする豪華ボイスキャストの演技、公開延期をしてまで突き詰めたアニメそのもののクオリティ、最高レベルで作品にマッチした劇中歌および主題歌などなど、もう絶賛することばかりです。『後章』は原作とは異なるクライマックスとラストを含め、『前章』よりもやや好みが分かれる部分もあるとは思います。それでも、筆者個人としては、この『デデデデ』は『アイの歌声を聴かせて』や『窓ぎわのトットちゃん』にも並ぶ、オールタイムベスト級の大傑作になりました。1人でも多くの人に、この作品が届くことを祈っています。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。