3:女の子2人の友情を超えた「絶対」の物語
本作の主人公は実質的に2人。パッと見は真面目なようで高校生時代の教師と不健全な恋愛関係を持とうと画策している小山門出と、サブカル用語やネットミームを交えたはちゃめちゃな言動をしているように思える中川凰蘭(通称:おんたん)です。 そして、その不思議ちゃんのように思えたおんたんが、実際はとても優しい女の子であり、危うさのある門出のために、はたまた残酷な世界に対抗するかのように「元気に振る舞っている」というのが重要です。おんたんの言動は基本的には極端でふざけていて、モラル的にギリギリアウトなところもあるのですが、よくよく聞いてみるとたまに正論を言っていたり、問題の本質をついていたり、時には厭世(えんせい)的に世界を捉えつつ、それを皮肉ってギャグに昇華させようとしていたりと、健気にも感じられるのです。
特に、『前章』でおんたんが「悲劇的な事実を知っているのに、いつものはちゃめちゃな言動で乗り切ろうとする」場面に涙した人は多いでしょう。
小学生時代の彼女は気弱な女の子であり、今のような不思議ちゃんではなかったのですが、今回の『後章』では、そんなおんたんが「変わった」瞬間が描かれ、さらに彼女のことが愛おしくなるのです。 さらには門出がおんたんに影響を受けている、というよりも、はっきりとおんたんに似たヘンテコな言動をするようになることにも感動しました。門出は何度もショックを受けつつも、親友から世界に対抗する手段を学んでいるのです。それこそ、今回のキャラクターポスターにあるように、「君は僕の絶対」といえるほどに、重要な存在になっていることも分かります。
そのように、門出にとって「絶対」の存在になったおんたんの物語を、「おんたんが世界中の人を敵に回しても私だけは味方になってあげますよ」「門出がここにいるなら僕もそこにいるのです」とまで言い合える2人の尊い関係性を、最後まで見届けてほしいのです。
4:脚本家・吉田玲子の「再構築」の巧みさ
本作でシリーズ構成・脚本を手掛けたのは、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』や『映画 聲の形』や『若おかみは小学生!』(映画)など、多数の絶賛されたアニメ作品を手掛ける吉田玲子。今回は原作の「再構築」の巧みさ、そして「前章と後章それぞれのコンセプト」には絶賛を送るしかありません。何しろ原作漫画は全12巻という大ボリューム。今回は『前章』と『後章』で合計4時間と、通常の映画の倍の上映時間が用意されているとはいえ、それでも「取捨選択」が必要です。その上で黒川智之アニメーションディレクター(監督)は「門出と凰蘭(おんたん)の話を外さない」ことを重要視し、吉田玲子は「(原作では後半にある)小学生編を『前章』に持ってこよう」と案を出したのだとか。
このおかげで、『前章』は大きな話をまとめつつ、多くの謎を残すことで「続きが気になる」効果を生んでいます。そして、黒川監督は『前章』が「門出編」、『後章』が「凰蘭編」というイメージでもいたそうで、その通りにそれぞれで主人公が異なる印象さえ得られるようになっています。 何より、吉田玲子が「2人の過去が今に結び付いているならば、その絆がどうできているかを知ることで、2人の関係の見え方が変わります」と語っている通り、この構成でこそ、前述した門出とおんたんの関係性の変化が、よりダイレクトに感じられるようになっていました。
また、かなり大胆な再構成の上、なかなかに複雑なSF設定もあるのですが、「時間軸整理のための年表」も作っていたおかげか、まったく混乱することがないというのも驚異的。主人公2人の関係性に焦点を当てつつも、他キャラクターの関係性や問題の変遷も十分に描かれています。原作漫画を読むと、物語の魅力を「凝縮」させるうまさに感服しました。
さらに、吉田玲子は「凰蘭のセリフは浅野いにお先生に細かくチェックしていただきました」「表ではこう言っているけれど、裏ではこういう気持ちを抱えている、というところは丁寧に拾うようにしました」などとも語っています。原作のキャラクターの関係性や物語の精神性をとても大切にしている、いや「愛」が込められていることは、実際に出来上がった作品から感じられるでしょう。
余談ですが、原作者の浅野いにおは、以前に吉田玲子が参加した大人気アニメ(と漫画の)『けいおん!』に触発されて『デデデデ』を描いたとも語っており、吉田玲子自身も「なるほど、これは世紀末の『けいおん!』なんだな」というふうに納得したのだとか。確かに、女の子の「わちゃわちゃ」したやりとりの楽しさは、『けいおん!』ファンにも大推薦できるものでした。