愛猫と過ごす何気ない日常の中で、「どうして猫ってこうなんだろう?」と首をかしげたくなる瞬間はありませんか?
こちらは真剣なのに、猫はどこか他人事。通じ合えたと思った瞬間に、あっさりと裏切られる——。そんな「かみ合わなさ」こそが、猫と暮らす醍醐味かもしれません。
「名前を呼んでも無視するのは、実は確信犯だった?」「獲物として持ってきたのは、まさかの豆腐パック?」
本記事では、歌人・仁尾智さんの著書『猫のいる家に帰りたい』(辰巳出版)より、思わず「うちも同じ!」と膝を打ちたくなる、猫と人間の愛おしき“すれ違い”を短歌とエッセイでお届けします。
半年ぶりに帰宅した愛猫は「本物」か?
黒猫は見分けられても
ももクロもAKBも見分けられない
十五年ほど前のこと。その頃妻の実家で飼っていた「モモ」という猫が、何ヶ月も家に戻ってこなかった。(田舎なので外出自由)
みな、モモは病気にかかってしまったか、もしくは事故に遭ってしまったのだろう、とあきらめていた。(山の中なので、穴に落ちてしまったとか、カラスに襲われたとか、そういう「事故」)
ある日、義母から妻に連絡があり、半年ぶりにモモが帰ってきた、という。モモは特に弱ってもおらず、当たり前のように戻ってきたらしい。
その話を聞いて、僕は(その猫、本当にモモなのか?)と疑った。モモは(こういうと失礼だけれども)なんの変哲もない黒白猫だ。義母の「モモであってほしい」という願望が、似た猫をモモだと勘違いさせているのではないか。そもそも柄の似た猫の見分けなんてつくわけがない、と本気で思っていた。まだ自分で猫を飼い始めて日も浅く、よくわかっていなかったのだ。
今ならその愚かしさがわかる。一緒に暮らしていた猫であれば、どんなに似ていても絶対にわかる。柄や尻尾の長さ、曲がり方、声や鳴き方、歩き方、振る舞いを見れば、わからないわけがない。
当時の僕に疑いの目をかけられた義母とモモに、この場を借りて謝りたい。ごめんなさい。
「不穏な獲物」をくわえてきた愛猫……まさかの“戦利品”の正体は?
猫がくる
ほめてほめてという顔で
何か不穏なものをくわえて
まだ実家暮らしだった三十年ほど前、「みいや」という猫を飼っていた。みいやは、家の周りを巡回するのが日課だった。台所の窓から出ていき、一時間ほどするとその窓から帰ってくる。
みいやが変な声で鳴きながら帰ってきたときは、家族に緊張が走る。そういうときは、必ず獲物(虫やトカゲやスズメなど、だ)をくわえているからだ。それをまたすごく得意げに床に置く。僕は、猫の野性をみいやから学んだ。
現在は完全室内飼いなので、そのようなこともなく、せいぜいオモチャをくわえてくるくらいだ。
ある日のこと。我が家の猫が、見慣れないものをくわえて、うれしそうに歩いてきた。一瞬、みいやの記憶がよみがえり、ひるむ。……まさか生き物?
恐る恐るくわえているものを見ると、それは豆腐の空きパックだった。その猫は、以降もたびたびキッチンから豆腐の空きパックをくわえて持ってきた。なぜ豆腐の空きパックだけを「獲物」とみなしていたのかは、よくわからない。
そんな猫を微笑ましく思うのと同時に、少し申し訳なく思う。
「狩りができない代わりに、寝床とごはんは一生保証するから」と、言い訳するような気持ちになってしまうのだ。



