
前置き:こういう映画が見たかった!
結論から申し上げれば、「こういう映画が見たかった」という気持ちを満たし、「この作品を求めている人はもっとたくさんいるから、早く見に行って!」と願える、素晴らしい作品でした。タイトルからは壮大な恋愛の物語を連想されるかもしれません(もちろん恋愛も描かれています)が、実際は「恋愛にならない男女の友情」を描いた映画の「決定版」であることを、何よりも推したいのです。
軽めの性的なセリフがごくわずかにあるものの、それ以外は見る人を選ばず、デートや友人との鑑賞にも推薦したくなる内容です。
かつ「ずっと心のどこかに置きたい格言」もあり、エンタメとして楽しむ以上に、たくさんの「エール」をもらえる内容でもあるのです。
これ以上の情報はなくてもいいくらいですが、なぜ本作が「必要」な作品であるのか、LGBTQ+を描いた作品の「カウンター」ともいえる理由も含めて、映画の魅力と共に紹介しましょう。
1:正反対の2人が親友になる話
本作の主人公は2人。他人の目を気にしない女性のジェヒと、ゲイであることを隠している青年のフンスです。大学生の時に2人は出会い、励まし合う親友になっていく過程において「あらゆる点で正反対なのにウマが合う」様が、実に面白く描かれています。例えばジェヒは、恋人のことを「ピュアなの、かわいいのよ」と自慢げに語るような、「恋に一直線かつ大っぴらに“のろける”」性格の持ち主。
一方でフンスは、「相手が“恋愛モード”だから、重くてさ」とどこか冷めた調子で語るような、「恋愛から距離を置こうとしている」タイプの人物です。
2人の価値観は大きく異なるにもかかわらず、むしろその違いがあるからこそ、「互いに気を遣わずに何でも本音で言い合える親友」として、理想的な関係に思えてきます。見る人それぞれが「自分もこうしたところがあるかもな」と、自身を重ね合わせて共感もできるでしょう。
2:「差別と偏見による抑圧」の対比となる、痛快無比で大胆な行動
そして、フンスのそうした価値観は、「ゲイであることを隠し続けた」境遇とも大きく関わっています。フンスの母親が息子のことをどう思っているのか、フンスが周りでヒソヒソと話される“うわさ”をどう感じているのか……。差別と偏見の目にさらされ続け、「生きたくない」とまで思うようになった彼の苦しみが痛いほどに伝わりますし、それはジェヒとの(表向きは)軽妙でざっくばらんな会話の中にも表れています。

そんなフンスにとって、恋愛に一直線で自由奔放なジェヒは、「自分にできなかったことができる」気持ちの良い存在として映っていると思えます。
特に、2人が親友になる一番のきっかけとなった、「SNSにアップされたヌード写真がジェヒではないかと騒がれた」ことに対し、ジェヒの「とある大胆な行動」は、周りからは「引かれる」ものであったとしても、フンスにとっては痛快無比そのものだったと分かるはずです。
また、ジェヒとフンスは互いに軽口も言い合える間柄なのですが、2人とも「明確に人を傷つける」言葉に対しては憤ります。例えば、ジェヒは飲み会でフンスに向けられた「ゲイみたいだぞ」という「軽率な蔑視と侮辱」に対しては、怒りをあらわにします。

時に間違いも犯しながらも、間違ったことにはちゃんと怒る2人。その「成長」と「真の相互理解」に至るまでの過程は感動的なものでした。