新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博)は2024年に迎える30周年に向けて、2022年7月1日から「あの銘店をもう一度」プロジェクトをスタート。過去に出店したことのある約40店舗の銘店が2年間かけてリレー形式でラー博に出店します。
2023年10月31日~11月20日の「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」第24弾は、北海道・旭川「蜂屋(はちや)」が出店。一度食べたらクセになる、旭川ラーメンが横浜で味わえます(画像は全て提供)。
蜂屋の「蜂」はハチミツに由来!?
![過去のラー博出店時の様子](https://imgcp.aacdn.jp/img-a/1200/1200/aa_news/article/2023/10/25/653883d3553c2.jpg)
旭川ラーメンの名店の1つ「蜂屋」は、蜂蜜を使ったアイスクリーム店として1946年に開業。なんと、屋号はハチミツの「蜂」に由来していたのです! 長年、ラー博ファンの筆者ですが、今回店名の由来を初めて知りました。
![昭和22年当時の外観。看板にソフトクリームの文字が見える](https://imgcp.aacdn.jp/img-a/1200/1600/aa_news/article/2023/10/25/6538847aced32.jpg)
初代の加藤枝直さんは、アイスクリーム店を営業する傍ら、近所の日本蕎麦屋店から「中華そばという食べ物がある」と聞きつけ、全くの独学で特徴的な風味を持つラーメンを作り上げます。
そして1947年12月、アイスクリーム店からラーメン店として生まれ変わったそうです。
旭川で流行した「祭・映画・蜂屋」
![創業者の加藤夫妻](https://imgcp.aacdn.jp/img-a/1200/800/aa_news/article/2023/10/25/653884ada7b06.jpg)
蜂屋のラーメンは爆発的な人気を呼び、旭川周辺では「休日には映画を見てから蜂屋でラーメンを食べる」というスタイルが休日の過ごし方として定着していきました。1960年代、ちまたで「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語となっていたころ、旭川では「祭・映画・蜂屋」という言葉が流行語になるほど蜂屋の人気はすごかったそうです。
![蜂屋二代目・加藤直純さん(1975年撮影)](https://imgcp.aacdn.jp/img-a/1200/1600/aa_news/article/2023/10/25/65388516cd6c4.jpg)
しかし1964年、初代の枝直さんが交通事故にあい、記憶喪失に。初代のみが知る一部のレシピも失われてしまいました。この時、2代目となる直純さんはまだ15歳。大学を卒業した1972年、蜂屋で正式に働き始めます。
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