【ラー博】クセはあるけどクセになる「焦がしラード」! 旭川ラーメン「蜂屋」は幻の1994年組だった!?

新横浜ラーメン博物館「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」第24弾は、北海道・旭川「蜂屋」。独特の焦がしラードがクセになる、旭川ラーメンが期間限定で出店します。

新横浜ラーメン博物館(以下、ラー博)は2024年に迎える30周年に向けて、2022年7月1日から「あの銘店をもう一度」プロジェクトをスタート。過去に出店したことのある約40店舗の銘店が2年間かけてリレー形式でラー博に出店します。

2023年10月31日~11月20日の「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」第24弾は、北海道・旭川「蜂屋(はちや)」が出店。一度食べたらクセになる、旭川ラーメンが横浜で味わえます(画像は全て提供)。

蜂屋の「蜂」はハチミツに由来!?

過去のラー博出店時の様子
過去のラー博出店時の様子

旭川ラーメンの名店の1つ「蜂屋」は、蜂蜜を使ったアイスクリーム店として1946年に開業。なんと、屋号はハチミツの「蜂」に由来していたのです! 長年、ラー博ファンの筆者ですが、今回店名の由来を初めて知りました。

昭和22年当時の外観。看板にソフトクリームの文字が見える
昭和22年当時の外観。看板にソフトクリームの文字が見える

初代の加藤枝直さんは、アイスクリーム店を営業する傍ら、近所の日本蕎麦屋店から「中華そばという食べ物がある」と聞きつけ、全くの独学で特徴的な風味を持つラーメンを作り上げます。
そして1947年12月、アイスクリーム店からラーメン店として生まれ変わったそうです。

旭川で流行した「祭・映画・蜂屋」

創業者の加藤夫妻
創業者の加藤夫妻

蜂屋のラーメンは爆発的な人気を呼び、旭川周辺では「休日には映画を見てから蜂屋でラーメンを食べる」というスタイルが休日の過ごし方として定着していきました。1960年代、ちまたで「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語となっていたころ、旭川では「祭・映画・蜂屋」という言葉が流行語になるほど蜂屋の人気はすごかったそうです。

蜂屋二代目・加藤直純さん(1975年撮影)
蜂屋2代目・加藤直純さん(1975年撮影)

しかし1964年、初代の枝直さんが交通事故にあい、記憶喪失に。初代のみが知る一部のレシピも失われてしまいました。この時、2代目となる直純さんはまだ15歳。大学を卒業した1972年、蜂屋で正式に働き始めます。


>次ページ:蜂屋、幻の1994年組に!
 

Lineで送る Facebookでシェア
はてなブックマークに追加

編集部が選ぶおすすめ記事

注目の連載

  • 「港区女子」というビジネスキャリア

    深刻な男女賃金格差から「港区活動」を“就職先”にする危険性。港区女子になれなかった女子大生の末路

  • ヒナタカの雑食系映画論

    草なぎ剛主演映画『碁盤斬り』が最高傑作になった7つの理由。『孤狼の血』白石和彌監督との好相性

  • 世界を知れば日本が見える

    もはや「素晴らしいニッポン」は建前か。インバウンド急拡大の今、外国人に聞いた「日本の嫌いなところ」

  • 海外から眺めてみたら! 不思議大国ジャパン

    外国人観光客向け「二重価格」は海外にも存在するが……在欧日本人が経験した「三重価格」の塩対応