宇野線の栄枯盛衰
四国への重要ルートとして建設された国鉄宇野線(岡山~宇野)。かつては、東京駅や大阪駅から直通する特急列車や急行列車が行き交いにぎわっていた。旅人は宇野駅で列車を降りると、宇高連絡船に乗り換え、高松を経由して四国各地へと向かった。1972年の山陽新幹線・岡山開業、1975年の山陽新幹線・博多開業に伴い、宇野線は、岡山駅で新幹線からリレーする快速列車がメインとなり、長距離の優等列車は夜行列車のみが残った。
1988年4月、瀬戸大橋が開通すると、四国へのメインルートは瀬戸大橋線へと移行した。JR宇野線の岡山~茶屋町は、瀬戸大橋線に組み込まれたため、重要路線であり続けている。
それに比べ、茶屋町~宇野は行き止まりのローカル線に転落した。連絡船との接続でにぎわった宇野駅は、旅客輸送のみならず、四国へ直通する貨車の入換などで広大な敷地を有していたものの、宇高連絡船廃止で不要になった。 宇野駅構内は規模を大幅に縮小し、連絡船の中までつながっていた線路は撤去された。港からやや離れた場所で線路は行き止まりとなり、1面2線のこぢんまりとした終着駅に変貌している。
宇野線のスター「ラ・マルせとうち」
現在の宇野駅に発着する列車は、普通列車のみ。岡山駅から直通する列車と瀬戸大橋線との分岐駅・茶屋町と宇野の支線区間のみを往復する列車の2種類がある。いずれにせよ、往年のように特急列車が行き交うことはなくなり、地味な感じがする。その中で、唯一、脚光を浴びる列車として注目されているのが、「ラ・マル・ド・ボア(La Malle de Bois)」を使用した観光列車「ラ・マルせとうち」(岡山~宇野)だ。
この列車は、2016年に行われた「晴れの国おかやまDC(デスティネーションキャンペーン)」および「瀬戸内国際芸術祭2016」に合わせてデビューした。同じく、宇野駅駅舎の外壁も芸術祭出展作品としてイタリア人の画家エステル・ストッカーの手により現代アート風のものに変わった。
「ラ・マル・ド・ボア」をデザインした北川フラム氏とは異なる作者のものであるにもかかわらず、列車と駅は似たような雰囲気となり、よくマッチしている。