「周りに迷惑をかけてはならない」という呪縛教育
他に言われているのが、「人に迷惑をかけてはならない」という日本人の美徳の代表ともいえる考え方が、呪縛となっているという説です。確かに、今回の大山さんへの批判コメントを読んでいると、何かと周りに迷惑をかけがちなベビーカー連れの母親たちは、問答無用でマナー違反を犯す存在と見なされてしまっているような気がします。
例えば日本の道徳の教科書を見ると、小学校1年時からいかに相手の心の機微をおもんぱかり、自己を周囲に合わせて社会規範を守るかが、手を変え品を変え、繰り返し手ほどきされています。そしてこの傾向は学校だけでなく、家庭や地域、その他のあらゆる場でも見て取れ、まさに国を挙げた徹底教育といっても過言でないのでは。
しかし、日本人が幼少時よりこの強烈な呪縛にとらわれながら日々生きていることは、海外に出て、外国人たちの空気読まない、行間読まない、忖度しない、人に迷惑かけても気にしない、日本人から見ると忌むべき自己中この上ない気質に直に触れて、初めて客観視できるというもの。
一向に着地点の見つからないベビーカー論争の原因
昨今では海外経験のある人も増え、「外国ではベビーカー連れで外出しても、周りの他人たちが優しく手助けしてくれる、それに比べて日本は……」といった議論が勃発しがちです。確かにヨーロッパではキリスト教義の「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という理念が根底にあり、弱者や困っている人(ベビーカー連れの母親含む)を見たら、尻込みせずに助けの手を差し伸べる傾向にあります。
確かに単純にヨーロッパの状況と比較すると、困難に直面しているベビーカー連れの母親を総じて助けようとしない、もしくは明らかに嫌悪感をもって接する日本人は、いかにも冷酷非情に見えます。
しかし突き詰めて考えてみれば、今まであれほど「人に迷惑を掛けるな」と刷り込まれ、迷惑を掛けた人間を袋叩きにするカルチャーに身を置きながら、急に「ベビーカー連れの母親に優しくできないのは心が狭い」と手のひらを返したように詰められたら、反発を覚えてしまうのも仕方がない気もします。
ここ10年ほど、外国の例を引き合いに出したベビーカー論争は相変わらず激しく、まったく終息の兆しが見えません。これは単純に表面的なことを見比べても解決しないのではと、今回、色々と思いを巡らせてみました。
住環境の問題にせよ、我々を呪縛しかねない教育方法にせよ、思いのほか根が深そうなテーマですが、現世代をストレスから解放し、次世代をつつがなく育てていく上でも、みんなで頑張って解決を図っていくことができたらと願っています。
※「令和2年国勢調査 人口速報集計結果」(総務省統計局)
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