「自分は自分、あちらはあちら」──多民族社会で身につけた距離感
——マレーシアでの3年半を経て、お子さんたちに見えた変化のなかで、特に印象的な点を教えてください。英語の力ももちろん磨かれましたが、それ以上に、「多様性への理解が子どもたちの性格形成に与えた影響」が印象深いです。私たち日本人とは異なる考え方や価値観を持つ人たちが、日常のなかに当たり前にいる。そういう環境のなかで、同級生や先生と関わることに、時に戸惑いも感じていたようです。
そのうえで、自分軸を持って過ごす感覚を、子どもたちが無意識のうちに身につけていったように見えました。その日あった出来事を親子で会話する際に、文化的な背景を交えて考えるような場面が日常的に多かったです。そのなかで、自分のアイデンティティを確立していったような印象があります。3年半で育っていったのは、まさにこの「自分を持つ強さ」だと感じます。マレーシアでの経験を通じて、「日本を出てどこに行ってもやっていける」という感覚も、子どもたち自身のなかに根づいたかもしれません。
——マレーシアは多民族国家として知られていますが、現地で暮らすなかで強く印象に残ったことはありますか?
マレーシアはマレー系(その多くがムスリム)の方が人口の多くを占める国です。たとえば、ハラル以外のものを口にしない、女性が髪を覆うといった、ムスリム特有の約束事も少なくありません。それに加えて、インド系、中華系の方々も大きな割合を占めていて、それぞれが固有の文化や宗教を保ったまま、共存しています。
3年半を通じて私の印象に残ったのは、文化的なバックグラウンドが異なる人たちどうしが、うまく距離感を取りながら生活を共にしている光景です。お互いをリスペクトしつつも、過剰には踏み込まない。「私は私、あちらはあちら」という、ちょうどいい距離を保ちながら、社会全体として成立している。日本にいたら、なかなか触れることのなかった感覚かもしれません。
——お子さんたち自身は、その環境のなかでどのように友達関係を築いていましたか?
クラスメイトを見ても、宗教も国籍もばらばらです。それぞれが違いを抱えたまま、お互いを受け入れて毎日を過ごしている。普段のお友だちとの関わり合いを見ていて、その様子を感じ取っていました。
私が言葉で教えたわけでも、何かを諭したわけでもありません。子どもたち自身が、毎日の暮らしのなかで自然と身につけていった感覚なのだと思います。
保護者たちのなかにも、それぞれの形で日常を支え合うつながりがありました。特に、日本人のママ友どうしは、結束が強かったですね。学年ごとにLINEのグループを作って、行事の連絡から生活面の細かな情報まで、頻繁にやりとりしていて。私自身も、本当に助けられた存在でした。
一方、ローカルのママ友との付き合い方は、まったく異なるものでした。日本人のように細かく予定を立てて集まるのではなく、前日に「明日、誕生日会するから来てね」と急に誘われたり、ドタキャンもごく普通にあったり。約束を交わす感覚そのものが違いましたね。
——それは、戸惑いとして残るのではなく、良い違いとして感じられましたか?
はい。相手のことをリスペクトしていないわけではなくて、お互い気を使いすぎずに気楽に関係を保てる。日本人どうしの付き合いとは少し違う、良い意味での余裕やおおらかさがありました。
——3年半を振り返って、もっとやっておけばよかったと感じることはありますか?
ローカルのママ友を、もっと作りたかったです。私はリモートとはいえ仕事をしていたので、平日のランチに出かけるような時間の余裕があまりなかったんです。仕事をされていないお母さんたちはお互いに頻繁に集まり、現地のいろんな場所を一緒にめぐっているようでした。せっかく海外で暮らしていたのに、現地で暮らしてきた方々との接点を広げきれなかった。3年半を振り返って心残りなのは、その点ですね。
ただ、1人とても仲良くなった中華系マレーシア人のお友だちがいて。ローカルの彼女にいろんな場所へ連れて行ってもらったり、友人たちの集まりに呼んでもらったりして、彼女のおかけで「マレーシア生活を満喫した」と言えることにとても感謝しています。帰国前にも、たくさんの友人を集めてお別れ会をしてくれました。ローカルのお友達とのつながりは、海外生活に大きな意義をもたらすと感じます。



