日本語の情報がほとんどない国へ、小学6年生の息子と二人で移り住む──そんな決断を下した母親がいます。竹内さん(仮名)が選んだのは、ヨーロッパとアジアのあいだに位置する小国ジョージアでした。
はじまりは「子どもには英語を話せるようになってほしい。そして世界中に友達をつくってほしい」というシンプルな願い。当初はフィリピンへの親子留学を計画していましたが、コロナ禍の影響で断念しました。
次の行き先を探すなかで出会ったのが、日本人がビザなしで1年間滞在できる(当時)と知ったジョージア。2021年7月、ほとんど前情報のないまま親子で降り立ち、子どもの就学先としてたどり着いたのは首都トビリシの現地校でした。
移住から6年。息子さんはジョージア語と英語を身につけ、「意見を言わなければ置いていかれる」という教育のなかで、自分の考えをはっきり口にする子に育ちました。
なぜ、情報のない国を選んだのか。学校選びや生活費、子育て文化のリアル、そして親子が手にした思わぬ“価値観”について、じっくり伺いました。
【保護者プロフィール】
お名前:竹内 由美子さん(仮名)
年齢:51歳
移住前の居住地:東京都江戸川区
家族構成:3人家族(父・母・長男)
お名前:竹内 悠斗くん(仮名)
現在の年齢:17歳
性格:リーダー気質だが人見知り。正論をはっきり言う真面目なタイプ
【移住の概要】
移住先:ジョージア・トビリシ(首都)
移住元:東京都江戸川区
移住時期:2021年7月〜
移住形態:母子で先行移住(1年後に父が合流)
子どもの年齢:(移住当時)12歳(小学6年生)
学校:Tbilisi Free Waldorf School(シュタイナー教育の現地校)
準備期間:約2年(フィリピン親子留学を経てコロナ禍で再検討)
コロナ禍で白紙になった計画──“情報ゼロ”のジョージアに、小6の息子と踏み出すまで
——まずは、教育移住を考え始めたきっかけから教えてください。
子どもができた時点で、グローバルな環境で育てたいという思いはもともとありました。私自身が英文科の出身で、海外志向が強かったんです。とはいえ海外で就職した経験はなく、学生時代に短期留学をした程度でした。
だからこそ、子どもには英語を話せるようになってほしかったし、世界中に友達をつくれたらいいなと思っていました。ちょうど日本でも英語が小学校の教科になる流れになって、「いよいよかな」と本格的に考え始めたんです。
——最初から、行き先の候補はいくつかあったのでしょうか?
はじめに考えていたのはフィリピンでした。日本人が少ないドゥマゲテという学園都市と、日本人にメジャーなセブ島の両方で、息子と二人で1カ月ほど親子留学を体験したんです。
そのうえで「日本人が少ないドゥマゲテでやっていこう」と決めて帰国しました。ですがその直後にコロナ禍になってしまって。計画は一度白紙に戻りました。
——そこから、なぜ「ジョージア」という当時ほとんど情報のなかった国にたどり着いたのでしょうか?
理由は2つあります。1つはインターネットでビザのことを調べていて、当時、日本人はビザなしで1年間滞在できる国だと知ったこと。もう1つは、フィリピンでお世話になった方が「今度はジョージアに行く」と連絡をくださったことです。
それで「ジョージア、へえ」と。当時は海外でそのまま暮らしたいのに、出国せざるを得ない日本人の方がたくさんいました。次にどこへ行こうかと、みんなが行き先を探していた時期です。そうした人たちのあいだで、少しずつ「ジョージアがいいんじゃない?」という声が出始めていました。
ただ家族連れよりも、単身で移ろうとしている人の方が圧倒的に多かったです。
——お子さんは、海外移住に対してどんな反応だったのでしょうか?
フィリピンに下見に行ったのは息子が4年生のときでした。それまで、私はあえて英語教育を一切していなかったんです。「耳は10歳まで」とよく言われますが、全く英語が分からない状態で行ったらどうなるのか、親子で試してみようという気持ちでした。
実際に連れて行ったら、息子はすごく楽しかったようで。留学の最後にあった発表会では、わけが分からないなりに一生懸命覚えて、英語でプレゼンしたんです。日本語じゃない言語がしゃべれたことが自信につながったようで、「もっと英語が話せるようになりたい!」と。親としては大成功で、移住への後押しになりました。
ただ、そこからコロナ禍が来て、移住できないまま2年ほどたってしまいました。息子は6年生になり、思春期に入ってお友達が大事な年頃になったことで、「海外に行くの、やっぱりやめておこうかな」と言い出したんですね。「お友達と別れるのが嫌だ」と。最初はかなり反対していました。
——最終的には、どのように決断されたのでしょうか?
主人がジョージアへ合流するのが1年後と決まっていたので、息子には「お母さんは行くから、行かないならお父さんと二人暮らしだね」と選択肢を示しました。私が行くことはもう決めていて、飛行機のチケットも取っていると。息子は2、3カ月は悩んでいましたね(笑)。
最後は本人が、渡航の1カ月ほど前に決めました。「学校のみんなにお別れのあいさつをしなきゃいけないから」と言って、担任の先生に「朝の時間を5分ください」とお願いして、自分から「2学期からみんなと別れる」とクラスで話したそうです。
担任の先生からそれを聞いて……思い出すだけで感慨深いですが。本人なりに区切りをつけて、けじめがついた状態で行くことができました



