クアラルンプール中心部での暮らしと、円安が効いてきた家計のリアル
——住まいはどのようなエリアで、生活の足はどう確保していたのでしょうか?住まいはKLCC(クアラルンプール・シティ・センター)周辺です。中心部に位置していて、移動はGrab(タクシー配車アプリ)が中心でした。車は持たず、毎日Grabで学校の送り迎えをしていたほどです。
呼べば数分で配車され、近距離なら1回200〜300円ほどで移動できます。KLCCのような中心部では、配車サービスが移動インフラとして十分に機能していて、周りの家族も車を持っていない人はたくさんいました。
——学校がある日の1日の流れは、おおまかにどのようなものでしたか?
まず、朝7時前には家を出ないといけないんです。日が明けきらない、薄暗い時間帯からの登校なので、最初の数週間は親子ともに慣れるのに苦労しました。
朝食は学校で食べる文化です。これはうちの学校に限った話ではなく、マレーシアのインターでは朝食を学校で取る形式が多いようでした。そのため、朝食用と昼食用の2食分のお弁当を、毎朝用意して持たせていました。送り出しの準備としては、それなりに負担のかかる部分でしたね。
下校は14時くらいが基本です。放課後にクラブ活動へ参加する子は、それが終わる15時過ぎまで学校に残ります。クラブは希望者のみの選択制で、強制ではありませんでした。
——日本と比べたとき、授業の進め方や勉強の中身で、特に違いを感じた点はありましたか?
いちばん違いを感じたのは、授業のスタイルでした。プレゼンテーションやグループワークの機会が多く、人前で発表したり、自分の意見を言葉にしたりする場面が、日本の小学校よりずっと多い印象です。
英国式カリキュラムに共通する特徴のようで、子どもにとっては、自然とコミュニケーション力を鍛える機会になったかもしれません。宿題は毎日しっかり出る形式で、量や頻度については日本と大きく変わらない感覚でした。
成績の付け方については、思っていたほど厳しくはなかったですね。学期末にテストがあり、その結果を保護者とのミーティングで、先生から直接共有してもらう形でした。テストの点数で進級の可否が決まったり、習熟度別にクラスが振り分けられたりするといったこともなかったですね。
——移住直後、お子さんが環境や文化に慣れるまでの様子はいかがでしたか?
最初の2〜3週間は、やはり大変そうでした。100%英語の環境にガラッと変わったので、先生の話していることも、お友だちの話していることも、当然最初はわからない。加えてマレーシアの英語は訛(なま)りが強く、英語を話せる私が聞いても、先生の言っていることがわからないくらいでした。
家庭では生まれた時から英語に触れて育ってはいたものの、それはあくまで日常会話レベル。授業で使う英語とはまた違いますし、机に向かって事前学習をするようなこともしていなかったので、子どもたちにとってはかなりハードなスタートになりました。
加えて、朝7時前の登校という生活リズムや、学校で朝食を取る習慣の違いも、慣れるまでは負担になっていたと思います。家庭でもできる限りのサポートをしましたが、最終的には本人たちが自分で慣れていくしかありません。
とはいえ、つらそうな様子を見て、当時は「どうしてあげられるだろう」と毎日悩みもしていました。
それでも、子どもの適応力や耳の慣れは早いものです。1カ月が経つ頃には、何事もなかったかのように学校生活にも、日常にもすっかりなじんでいて、私もひと安心できました。
学費はSayfolの場合、年間で1人80〜90万円ほどでした。マレーシアにはインターが数多くあり、学費の幅も広いです。Sayfolは、そのなかでもコスパの良いレンジに入ると思います。
月々の生活費は、家賃を含めて約25万円でした。入学時には制服や教材一式でまとまった出費がありましたが、それを除けば、生活面で大きな出費の記憶はあまりありません。物価自体が当時はまだ安く、車も持たずGrabで移動していたので、固定的にかかる費用も限定的だったんです。
——マレーシアでのお仕事は、どのように続けていましたか?
日本にいた頃から、リモートで完結する仕事をしていました。マレーシアに渡ってからも、その勤務形態をそのまま継続できたんです。ただ、毎日の送り迎えがある分、フルタイム勤務には工夫が必要で。時差をうまく使って7時に始業できる仕事に転職し、子どもの下校時間に間に合うところまで勤務時間を調整しながら、働いていました。
その後、円安と物価上昇のダブルパンチで金銭面にも不安が生じ、より給与水準の高い仕事に転職しています。ただ、リモートで日本企業に勤める形態自体は変えませんでした。
——円安や物価高の影響は、いつ頃から実際に感じ始めたのでしょうか?
2024〜25年あたりから、じわじわと感じ始めました。私が渡航した頃にネット上で出回っていた情報の多くは、「マレーシアは日本の物価の2分の1から3分の1で生活できる」というものでした。当時はまだ、その通説と実態が大きくは外れていなかったかもしれません。
ただ、私たちが帰国する頃には、その情報はほぼ通用しなくなっていた印象です。クアラルンプールの中心部に住むなら、日本と同じか、むしろ高くつくくらいの感覚でしたね。
——具体的に、どのくらい変わったのでしょうか。
1リンギットあたりのレートで言えば、私が渡航した2022年頃は30円弱でした。それが2026年に帰国する頃には、40円ほどまで上がっていたんです。10円の差は、日常生活を過ごすうえでも大きく響きましたね。
加えて、マレーシア国内の物価そのものも上昇しています。給与は日本円で受け取っていたので、現地で使う際の目減りと、現地の物価上昇という二重の影響を同時に受けた形です。家賃を例に挙げると、現地通貨であるリンギットベースでも年々上がり続けていて、それを日本円に換算すると、想定よりずっと大きな差として家計に跳ね返ってきました。



