ヒナタカの雑食系映画論 第209回

映画『MERCY/マーシー AI裁判』がAI時代の「過ち」を鋭く描いているワケ。3つの魅力を解説

映画『MERCY/マーシー AI裁判』は現代のAIへの向き合い方に、重要な知見を与えてくれる快作でした。その3つの魅力を解説しましょう。

2:裁く存在から支える存在へ。AIは「相棒」になれる

本作で重要かつ、良い意味で多くの人の期待を裏切ってくれるであろうことは、このAI裁判官が「敵ではない」ということ。むしろ「論理的」で「合理的」なAIの考えが、捜査において大きな助けになっているのです。
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何しろ主人公は「直感を信じるタイプの刑事」であり、殺人事件の容疑者となったそもそもの理由に「キレやすさ」があったりするのです。そんな彼でも、AI裁判官からの「直感で動きすぎている。先にこういうことがあったでしょう」とアドバイスをされると、「確かにそうだな」と冷静になったりもできるのです。

現実でも、日常的にChatGPTなどのAIに質問をして、アドバイスしてもらったり、仕事の手伝いをしてもらったりする人は少なくないでしょう。この『マーシー』で描かれていたAI像は決して荒唐無稽なだけのものではなく、「人間のサポートをするツールまたは相棒」として「あり得る」どころか「もうそうなっている」ものなのです。
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今では生成AIの功罪のうち「罪」がよく語られており、特に映画やアニメやゲームといった創作において生成AIの悪い話題が上がりがちです。もちろんハリウッド映画界でもAIの問題が取り沙汰されやすいのですが、それでもなお映画で「AIと人間は良い連携ができるはずだ」と希望を示したのは、とても誠実だと思えます。

最近では日本のアニメ映画『アイの歌声を聴かせて』でもAIの「怖い面」を描きつつも「AIが人間の友達になれる」可能性を示していましたし、2025年末に日本で公開され口コミで大評判となった香港・中国合作の映画『シャドウズ・エッジ』でも発達したAIが捜査における重要な「協力者」となっていました。
こうしたAIを「十把一絡げに否定しない」「可能性を示した」エンターテインメントが生まれることそのものを、歓迎したいのです。

また、直感で行動するキレやすい主人公を演じているのが、良い意味でヒーロー然としているだけではない、軽薄さや未熟さを体現する役が上手いクリス・プラットというのも「効いて」います。彼が、同じくティムール・ベクマンベトフ監督の映画『ウォンテッド』では「キーボードでぶん殴られるウザい同僚」だったことを踏まえると、より味わい深いものがありました。

さらに、AI裁判官を演じたレベッカ・ファーガソンは、『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』で「一匹狼」な印象が強い謎の美女を演じていたこともあり、今回の「冷徹な機械のようでいて」「それだけではない含みもある」役柄にぴったりでした。メインの登場人物がごく少ない作品だからこそ、俳優の力量もよりはっきりと分かるでしょう。

3:「人間の真実」がある

前述してきた通り、「超絶不利な状況から逆転を目指す探偵もの」「自分を処刑するはずのAIが最強の味方になってくれる」という合わせ技が見事にキマっているからこそ面白いのですが、真の面白さと奥深さは、実はその「先」にあります

その「先」を具体的に記すとネタバレになってしまうので秘密にしておきますが、「これって実は……」という違和感が見事に伏線として回収されること、そして「人間の真実」を鋭くえぐった問題提起をしていることは明言しておきましょう。
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劇中では「事実は白か黒だが、真実は灰色だ」という名言もあり、なるほど、終盤の展開にはその言葉通りの「不都合な真実をはっきりとさせない」人間の問題が、まざまざと表れていると思うのです。

さらに、その人間の真実は、「本来は論理的かつ合理的に正解を見つけようとする」はずのAIの思考プロセスと大きな差はないのではないか、という考えも巡らせることができます。それは、先に挙げた『アイの歌声を聴かせて』の吉浦康裕監督がTwitter(現X)で記した言葉も思いだすものでした。

正直な話「高度なAIに自我や魂は宿るのか?」系の疑問って、あまり考えたこと無いんですよ。人間の意識自体を「超超超高解像度なAIのようなもの」と捉えれば割とスッキリしますし。本作の主な登場人物の価値観も、それに近いものがあるのかもしれません。

吉浦康裕 Xより

「AIを人間に似せていけば自我や魂という概念に取って代わるのではなく、そもそも人間の意識が超高度に発達したAIのようなものではないか」という考えは、今回の『マーシー』のクライマックスで提示された、とある「過ち」にも当てはまっていると思うのです。

また、本作の公式のチラシにある「これは現実になりつつある、度を超えたAI信仰への警鐘――」という文言は、前述したようにAI裁判官が味方になる展開からすればミスリーディングにも思えますが、実際は的を射ていると思います。

特に終盤の「真実」を示す言葉からは、AIに限らず自分が正しいと思ったことを疑わず、盲目的に信じようとする、その思考そのものが恐ろしいのだと、実感できるのではないでしょう。それでもなお、人間とAIの可能性を尊ぶメッセージに、つい目頭が熱くなってしまいました。ぜひ「意外な感動」にも期待してほしいです。
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1月30日公開の『ランニング・マン』との共通点も
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