弱音を吐いたパパに、妻と娘は……
折れそうになった細貝の心に寄り添い、支えたのは、やはり家族だった。「サッカーを辞めようと思う」──そう妻に告げると、こんな言葉が返ってきたという。《いいんじゃない、ここまで頑張ってきたんだから》
「すんなりそう言われて、なんだかすごく心が落ち着いたんです。もしそこで、『リハビリを頑張ればまだできるよ』って言われていたら、今のこの状況はなかったかもしれません。そのあたりは、僕の性格も知った上でしょうね」
当時、まだ2歳だった長女にも思わず弱音を吐いたそうだ。
「もし自分がこのまま死んだら、この子は何も覚えていないんだろうなとか、今の貯金で妻と娘は生活していけるのかなとか、1番つらい時期はいろんなことが頭をよぎりましたね。でも、『パパ、ちょっとヤバいかも』って娘に言うと、いいから遊ぼうよ、みたいな感じでおもちゃを持ってくるんですね。その無邪気さに救われました」
大病を患ってあらためて気付かされたのは、家族のありがたみと同時に、健康の大切さだった。腎臓の病気に苦しむ兄・拓の姿を見て育った細貝は、自身が膵のう胞性腫瘍になる以前から難病患者をサポートする活動に携わり、CTEPH(シーテフ=慢性血栓そくせん性肺高血圧症)の啓発大使も務めていたが、「自分が病気になってみて、より病と闘う人たちの気持ちが分かるようになった」と話す。
「手術をしてくれたドクターをはじめ、たくさんの人のサポートがあって今がある。医療に関してはすごく関心があるし、今後自分が力になれることがあれば、ぜひやっていきたいと思っています」
誰かを勇気づけたいという思い以上に……
その後、つらいリハビリを乗り越えた細貝は、驚異的なスピードで復帰を果たす。だが、世間には病気の事実を公表していなかったため、闘病生活中の“空白期間”についてはさまざまな憶測が飛び交った。「ブリーラムに移籍が決まったのに合流もしていないから、『細貝はどこに行ったんだ?』って言われていた時期もあったみたいです(笑)。でも再びサッカーができるようになっただけで十分だったし、自分は病気だったけどこうして頑張ってるよって、わざわざ言うのも違うのかなって」
しかし、2年前のテレビ番組でようやく細貝は真実を公表する。
「番組スタッフから、『公表することで病気と闘っている多くの人を勇気づけられるんじゃないですか?』と言われて、確かにそうかもしれないなと。実際、放送後には同じ病気の方からたくさんのメッセージもいただきましたし。ただ──」
ひと呼吸おいて、こう続ける。
「僕が今も現役を続けているのは、誰かを勇気づけたいという思いもありますが、それ以上に、サッカーをしているときの自分が1番充実しているからなんです。もちろん、いつかは引退を決断しなくてはならないし、引退後の自分にはどんな価値があるのかってことも考えなくてはならない年齢でもあります。けれど現役でプレーしている以上は、選手としての存在価値を証明することにフォーカスしなきゃいけない。その情熱がある限り、ピッチに立ち続けたいと思っています」
幼い頃から変わらず、38歳の今も細貝にとってサッカーは、情熱を傾けられる1番の対象なのだ。現在は地元・前橋にフットサルコートを作り、定期的に子どもたちに指導もしているが、サッカーが上達する上で何よりも大切なのは、「好きでいること、情熱を持ち続けること」だと言い切る。