妻、中村明花との予想外の新婚ライフ
そう、東日本大震災の前日のことだ。
「当然、僕の結婚の話題なんて吹き飛びましたが、シーズンの準備のため先に単身ドイツへ渡っていたので、とにかく日本にいる家族のことが心配でした。日本では規制がかかるような映像も、向こうでは平気で流していましたから……」
幸いにして、群馬の両親も、埼玉にいた妻も、そして千葉に住む妻の両親も無事だったが、夢に見たヨーロッパの地でのプロ生活と新婚生活は、想像もしない波乱に満ちたスタートとなった。
それでも、アウクスブルクでの2年目のシーズン(2011~2012)には39試合に出場してチームの1部残留に貢献。その後もバイエル・レバークーゼン、ヘルタ・ベルリン、トルコのブルサスポルと移籍しながら着実にヨーロッパでキャリアを重ねていった細貝に待望の第1子が誕生するのは、ちょうどブルサスポルでのシーズン(2015~2016)を終え、日本に帰国していた2016年6月のことだった。
父親として、現在小学2年生になった長女とは、どのように向き合っているのか。インタビューの後編ではその子育て論を聞くと共に、家族の大切さをあらためて知ることになったという、2018年の年末に見舞われた自身の大病についても語ってもらった。
インターナショナルな環境が育んだ長女の性格
「社交的というか、全く人見知りをしない子で……。さすがに小学生になってからは落ち着きましたが、小さい頃は誰にでもついて行っちゃうような子で、本当に大丈夫かなって心配になるくらいでした(笑)」そう言って細貝が気をもむほど、長女が社交性豊かな性格になったのは、育った環境も大きく影響している。生後3カ月で細貝の待つドイツへ渡るが、その3カ月後には細貝の柏レイソルへの移籍に伴い、日本へ。さらにタイのブリーラム・ユナイテッド、バンコク・ユナイテッドと、父親の移籍した先々で誕生日を迎えてきた。
「幼稚園だけでも3回変わりましたからね。タイではアメリカンスクールに通っていたんですが、地方都市のブリーラムには日本人もいなくて、最初の数日はずっと泣いていたんです。それでも英語が理解できるようになると、どんどん人との接し方が上手になった。向こうの選手たちとの食事会にもよく連れて行ったんですが、さまざまな人種の中に入ってもまったく物おじしなくなりましたね。大変だったでしょうが、とても良い経験になったと思います」