アスリートの育て方 第13回

なぜ元日本代表・細貝萌は、ずっとサッカーエリートでいられたのか。幼少期に訪れた、知られざる転機

トップアスリートが「どんな環境下で育ったのか」、そして「わが子をどんな教育方針のもとで育てているのか」について聞く連載【アスリートの育て方】。今回は、元サッカー日本代表・細貝萌に、どのような両親のもとでどう育てられたのか、話を聞いた。

「好きなことを一生懸命にやる」細貝家のルール

ちなみに、「大きな声を出しているところを見たことがない」という無口な父親も、「いつもニコニコと笑っている」という母親も、学生時代、特別スポーツに秀でていたわけではない。ある研究結果によれば、「運動能力の66%は遺伝要因で決まる」と報告がされている。しかし、決してそれだけでトップアスリートが育つわけではないだろう。
 
親は子どもに多くの選択肢を与え、情熱を傾けられる対象が見つかれば、子どもの意思を尊重しながら、愛情をもってサポートする。大前提はそこにあるはずだ。
 
細貝はこう言って笑う。
 
「野球好きだった父親は、本当は僕に野球をやらせたかったみたいなんです。サッカーは、少年野球チームに入れる年齢になるまでの“つなぎ”だったらしくて(笑)。他にも水泳や書道、エレクトーンなんかも習わせてもらいましたけど、僕がサッカーにハマると黙って応援してくれた。そうですね……あえて細貝家のルールを挙げるなら、『好きなことを一生懸命にやる』ですかね」
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細貝萌(ほそがい・はじめ)
1986年6月10日生まれ。群馬県前橋市出身。強豪・前橋育英高校で10番を背負った3年時にインターハイで3位になるなど実績を残し、特別指定選手を経て2005年に浦和レッズに入団。ユーティリティープレーヤーとして5年間活躍したのち、ドイツへ渡る。アウクスブルク、バイエル・レバークーゼン、ヘルタ・ベルリン、シュツットガルトを渡り歩いたブンデスリーガでは1部と2部を合わせて公式戦119試合に出場した。トルコやタイのクラブでもプレーし、2021年9月にJ2のザスパ群馬へ移籍。38歳の現在も地元のクラブで戦い続けている。日本代表歴は通算30試合・1得点。前橋市に自ら設立したフットサル場で子どもたちの指導も行い、またCTEPH(シーテフ=慢性血栓けっせん性肺高血圧症)という難病の啓発大使としても活動している。

この記事の執筆者:吉田 治良 プロフィール
1967年生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。2000年から約10年にわたって『ワールドサッカーダイジェスト』の編集長を務める。2017年に独立。現在はフリーのライター/編集者。
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