7:「弱い」と思われた者たちによる反骨精神の物語
前述してきたエイリアンの造形は男性器(第1形態のエッグチェンバーは女性器)をモチーフにしていることがよく知られており、その「生理的嫌悪感」もまた恐怖を呼び起こしますし、1作目『エイリアン』では女性への性暴力のメタファーが込められた場面もあります。『エイリアン』シリーズの主人公はいずれも女性であり、特に4作目までのシガニー・ウィバーが演じた「リプリー」は、「強い女性」のアイコン的な存在でもあります。
だからこそ、性暴力への反撃、またはフェミニズムの精神も根底にあるシリーズともいえるでしょう。1作目の序盤こそ主人公らしい描かれ方をしていなかったリプリーが、決して諦めず、最後まで戦い抜く姿に勇気づけられますし、それは同時に現実の男性優位・支配的な社会構造への反骨精神の象徴とも解釈できるのです。
今回の『ロムルス』ではさらに、経験も知識も乏しい、社会で搾取される若者たちを中心に据えていますし、やはり主人公となるのは女性。世間からは「弱い」立場とされる者たちが自立し戦い抜く姿は、1作目のオマージュであるとともに、より強調されています。
客観的には弱い存在にも思える女性および若者たちが、恐ろしく強く、到底かなうはずもないエイリアンにどう立ち向かうのか……そこで打ち出される知恵と勇気は、娯楽として楽しめること以上に、現実の生きる希望へもつながる意義も、強く感じるのです。
8:アンドロイドの存在と、運命にあらがう選択をする物語
『エイリアン』シリーズにおいて、アンドロイド(人間の姿形を模したロボット)のキャラクターの存在は欠かせません。極めて合理的な判断で動き、話し方も人間味に欠けているようでいて、「それだけではない」奥行きを感じさせるアンドロイドたちは、それぞれで忘れられないインパクトを与えてくれていました。今回の『ロムルス』におけるアンドロイドは、主人公の「弟」です。ギャグ(ダジャレ)を連発したりもしますがウケはイマイチ。仲間からも「ゴミ」だと罵倒されるふびんなキャラクターなのですが、彼には中盤からとある変化が訪れ、主人公たちの選択に強い影響を与えることになります。
合理的な判断をするアンドロイドの存在を持ってして、逆説的に人間が人間たるゆえん、つまりはヒューマニズムが見えてくるというのも『エイリアン』シリーズの特徴といえるでしょう。 また、1作目の『エイリアン』および、シリーズ5作目『プロメテウス』と6作目『エイリアン:コヴェナント』を手掛けたリドリー・スコット監督は、他の映画でも「機械的に構築された社会構造に置かれた者」を主人公とし、彼らが「残酷な運命に立ち向かう」物語を多く描いてきました。
「弱い」立場の若者および女性を主人公としていることも併せて、やはり本作は『エイリアン』シリーズの「原点回帰」にして、「運命にあらがう選択の物語」として実に完成された作品だと思います。