「先に謝る宣伝」からも伝わる、差別を自虐ネタで笑い飛ばすという発明
そのように先に謝る宣伝スタイルになった理由の筆頭は、やはり「イジって(ディスって)いる」から。例えば、原作および映画の前作では「埼玉なんて言ってるだけで口が埼玉になるわ!」とか「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」とか、それはまあひどい差別的発言までも飛び出すのですが、同時にそのバカバカしさに笑ってしまうのですから。しかし、これこそが原作および映画『翔んで埼玉』の「発明」だとも思います。世の中にある差別や迫害はセンシティブなものであり、下手に茶化してしまうと不謹慎だと批判される、社会的な問題にも発展しかねないでしょう。
しかしながら、埼玉県には「これといった観光名所があまりない」ことや「海が存在しない」ことなどを「自虐ネタ」として受け入れられる土壌がありますし、今では『月曜から夜ふかし』の影響もあってか全国的にもそのことは周知されています。その自虐ネタを映画『翔んで埼玉』ではとことんオーバーに描き、それに伴って現実の世界にある迫害や差別がいかにバカバカしいかを思い知らされるという構図があるのです。
バカバカしい差別を描きつつも、BLの尊さも示す
それでも、そうした自虐ギャグ、はたまた迫害や差別を誇張して描くことは、誰かの心を傷つけてしまう危険性もあると思います。しかし、映画『翔んで埼玉』の前作および今回も、そこにも果敢に挑んでおり、「これだけは誰にも奪わせない郷土愛や自尊心」の大切さをも示していました。「自虐的なイジりギャグだけで終わらせない」志(こころざし)の高さも、冗談抜きで称賛すべきことでしょう。 また、前作から二階堂ふみ、今回では新たに杏も、GACKT演じる主人公を恋慕うことになる、男性のキャラクターを演じています。つまりは真正面からBL(ボーイズラブ)が描かれていることにも注目すべきでしょう。
ここまでのメジャー公開の大作日本映画でLGBTQ+のキャラクターがメインキャラクターとなること、しかも悲劇的な物語ではないことは珍しいですし、劇中ではその同性愛が差別的に扱われることはありません。 バカバカしい差別や迫害を描いた作品でありつつも、現実で差別を受け続けてもいた同性愛者たちを尊い関係性のBLとして「当たり前」に描くということも、原作および映画『翔んで埼玉』の発明でしょう。