「大安食堂」が27年ぶりにラー博に復活! 御年86歳の鉄人が作る、昔懐かしいシンプルな喜多方ラーメン

新横浜ラーメン博物館「あの銘店をもう一度“94年組”」第4弾は、喜多方「大安食堂1994」が出店。御年86歳の鉄人が作る、シンプルを極めた喜多方ラーメンが27年ぶりに復活します。

札幌・博多と並ぶ「日本三大ご当地ラーメン」

やがて、「蔵」だけでは観光客が滞在しないと考えた喜多方市商工観光課の職員が、地域に根付いているラーメンに目を付けます。

1983年、日本交通公社(現在のJTB)の旅行ガイドブック『るるぶ』に名産品として「喜多方ラーメン」を紹介してもらうと、市には問い合わせが殺到。喜多方ラーメンを求めて大型観光バスをはじめ、ラーメンツアー列車までが走るようになり、1975年には年間5万人だった観光客数が、1983年には20万人に膨れ上がりました。

1987年には日本初のラーメン会となる「蔵のまち喜多方老麺会」が発足。遠藤さんは初代のメンバーとして名を連ね、自分の店のみならず、喜多方ラーメンを全国区にすべく、北は北海道、南は九州まで、全国の物産展に出店します。こうした尽力もあり、喜多方ラーメンは札幌、博多と並ぶ日本三大ご当地ラーメンとして名をはせることとなりました。

新横浜ラーメン博物館への出店

ラー博開業時のにぎわい
ラー博オープン日のにぎわい(1994年撮影)

ラー博は、日本三大ご当地ラーメンとして喜多方というラインアップは外せないという思いのもと、大安食堂を誘致することに。

しかし、遠藤さんが全国の物産展に出店しており多忙であったこと、先例のない事業の持ちかけだったことなどから難航を極めます。何度も誠意ある交渉を続け、1994年3月、大安食堂はラー博のオープニングメンバーとして出店。

新横浜ラーメン博物館出店当時の遠藤夫妻と娘さん(1994年撮影)
新横浜ラーメン博物館出店当時の遠藤夫妻と娘さん(1994年撮影)

いざオープンしてみると、1日600杯~800杯のラーメンが出たため、夜2時ごろまで仕込みをして、2~3時間の睡眠をとり、また朝6時に店に戻る……そんな日々がずっと続いたといいます。遠藤さんが喜多方に戻ることができたのは、半年後のことでした。

遠藤さんは「私のラーメン人生の中でこんなに忙しかったのは初めてでした。ただこの経験があったからこそ、自信にもなりました」と、当時を振り返ります。

その後、大安食堂は1996年2月にラー博を卒業。2012年1月に行われた「がんばれ東北!がんばろうラーメン!」の企画で5日間限定で出店しましたが、レギュラー店の卒業からは27年ぶりの復活となります。


>次ページ:シンプルでおいしい「大安食堂」のラーメン
 

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