戦争がもたらした負の遺産
分かりやすいのは、戦前、戦中に内閣情報局が編輯(へんしゅう)していた『週報』という政府広報誌だ。この雑誌の昭和18年(1943年)1月6日号に「産業戦士」から「休日を減少せよ 戦争第2年を顧みて、われわれ勤人は、余りにも休日を多くもち過ぎた。これでは第一線の勇士や、銃後産業戦士に対し申訳がない」という投書が寄せられた。すると、これを受けて翌週の広報誌には、別の「産業戦士」からこんな提案が寄せられる。
決戦に休みなし 去る6日の通風筒〔「週報」投書欄のタイトル〕に「休日を減少すべし」との論があつたが、あの提案では、戦つてゐる国の銃後として、まだまだ手緩くはなからうか。勤務を誇るわけではないが、僕達は既に開戦前から月の休みは月に1回か2回で、後は毎日午後7時まで、時には深夜業までして働いてゐる。この決戦下、月に3日も休み、しかも半休日まで作らうとは贅沢だ
どうだろう、ブラック企業でよく行われる「オレ、もう3日も家に帰ってない」「最後に有給とったの半年前かな」という長時間労働自慢とよく似ていないだろうか。
日本のために前線で命を投げ出している兵士に申し訳ないので、とにかく不眠不休で働かないと世間体が立たない。こういう「長く働かないと後ろめたい」というのは、戦争が終わって戦後の高度経済成長期を経て、およそ80年たった今も脈々と引き継がれている。事実、残業している人の中には、「みんな働いているのに自分だけサボったら申し訳ない」という罪悪感や、「上司や同僚の評価」が気になって帰社できないという人もかなりいるはずだ。
しかし、今の若い人たちはたくさんのブラック労働の犠牲者が出たことで、ようやくそれが消えてきたというワケだ。今、ビジネスの世界で、長時間労働を悪と考える世代が増えてきたということは、戦争がもたらした負の遺産がようやく忘れられてきた、ということなのかもしれない。
テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経てノンフィクションライター。報道対策アドバイザーとしても、これまで300件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行っている。