高校教師が教壇に立てなくなったわけ
先日、関西の高校に勤めるある先生から、久しぶりに連絡をもらいました。以前1度取材させてもらったことがある、30代の男性教員です。仮にカワカミ先生と呼びましょう。
取材の際、筆者の細かい疑問に根気よく楽しげに答えてくれたカワカミ先生は、「教えることが根っから好きな人」という印象でした。
そんなカワカミ先生が、今年は「教壇に立っていない」とのこと。驚いて何があったのか尋ねると、授業で取り扱ったいくつかの内容が不適切だったと指摘され、教育委員会から研修命令を受けているのだとか。このままいくと免職の可能性もあるといいます。
教育委員会の判断の適否はちょっと筆者には分からないのですが、話を聞くと「不適切」とされた授業の1つは、とても興味深いものでした。
今回はその授業について考えてみたいと思います。
「指導死」訴訟を、裁判制度学習の題材にした
カワカミ先生が授業で取り上げたのは、勤務校で過去に起きた「指導死」に関する訴訟でした。指導死とは、学校で行われる指導で子どもが肉体的・精神的に追い詰められて自ら死に追い込まれる事案です。学校にとっては、なるべく触れられたくない話でしょう。同校では8年ほど前、1人の生徒が教員から指導を受けた後に命を絶ち、遺族が「過度な指導があった」として訴訟を起こしていました。カワカミ先生はこの訴訟を、公民の授業で裁判制度を学ぶ題材として取り上げたのです。
きっかけは、授業中に生徒から「こういうことがあったのを、先生は知っていますか?」と質問されたことでした。聞いたことはあったものの詳細を知らなかったため、カワカミ先生は「興味があるなら、自分で情報公開請求して調べてみたら」と生徒に伝えます。しかし請求してみると、教育委員会から出てきた資料はほぼ全て黒塗りで情報は得られませんでした。
その後、裁判所のホームページにこの裁判の判決が公開されていることを知ったカワカミ先生は、翌年度改めて授業の題材として同裁判を取り上げ、さらに学習後は生徒たちが書いた感想文を、いまは遠くに住むご遺族のもとに直接届けるという行動に出たのでした。
亡くなった生徒の母親は、生徒たちの感想文を読むと涙を流して喜び、祖父からも後日、カワカミ先生のもとに感謝の手紙が届いたということです。
一方で教育委員会は、こういったカワカミ先生の授業や行動について、生徒や遺族への配慮が十分でなかったものと指摘しています。
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