結果じゃない。プロセスを認め、褒めてくれた両親
「いつも動いているスーパーウーマンみたいな人でした」母・さとみについて尋ねると、寿人は笑いながらそう返してくれた。自営業から会社勤めに変わった父だけでなく、もちろん母親も転居に伴う苦労は絶えなかったはずだが、パートに出ながらも育児に手を抜くことは一切なかったという。
「なにより食事の面には気を使ってくれましたね。僕たち兄弟は双子、しかも3月生まれで周りの子たちよりも体が小さかったので、なんとか強く、大きくしてあげたいっていう親心だったんでしょう。忙しいのに、いつも栄養のバランスを考えた食事を用意してくれていましたね」
中学校で出会った恩師とも呼べる先生に、「サッカーだけやっていてもダメだぞ」と教えられ、毎日夜遅くに練習から帰ってくると、どんなに疲れていても30分~1時間は必ず机に向かった。だから、「勉強しなさい」と母親から言われたことは1度もなかったという。
「叱られた記憶が、ほとんどないんです。サッカーも勉強も、結果だけでなく、目標に対して真剣に向き合っていれば、そのプロセスを両親は認め、褒めてくれましたね」
「調子に乗っているのか!?」父がこっぴどく怒ったわけ
だが、たった1度だけ、こっぴどく父親に怒られたことがある。高校時代、兄の勇人がサッカー以外のことに興味が湧き、チームを辞めると言い出したときだ。「とばっちりですけどね」と笑って、寿人はこう当時を振り返る。「僕も自分のことで精いっぱいで余裕もなかったので、『辞めたいなら辞めればいいじゃん』って言ったんですね。そうしたら父が、『お前は自分がうまく行っているからって、調子に乗っているのか⁉』って、勇人ではなく僕に怒り始めたんです。きっと父は、僕に勇人を止めてほしかったんでしょうね。2人で一緒に頑張っている姿を見たかったんだと思います」
勇人が道を逸れたときも、父は「いつでも戻れるように」とクラブに月謝を払い続けたという。そして、寿人がジェフのジュニアユースに入った当初、周りのレベルの高さに戸惑い、「辞めたい」と弱音を吐いたときも、父はたった一言、「お前はやりきったのか?」と、叱るどころか静かに諭しただけだった。今、自分が父親になって、あらためて寿人はその懐の深さを実感している。
「なかなかできることじゃないですよ。僕たち以上に環境を変えて大変だったのは父の方ですからね。僕が親の立場だったら、『何を言ってんだ? 中途半端な気持ちで続けるくらいなら辞めてしまえ』って𠮟りつけてしまいそうで(苦笑)。あのとき、もしそうやって突き放されていたら、そこで本当にサッカーを辞めてしまっていたかもしれませんね」
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