本来、アメリカの最難関大学の入試は、高校の成績と学力テストのスコアという「2つの学力指標」が本質です。世界中から「成績オールA」のトップ層が殺到するため、共通テストであるSATやACTの点数で細かく絞り込む必要がありました。
ちまたでよく言われる「アメリカの大学入試はボランティアなどの活動実績が全て」というイメージは、実は大きな誤解で、実績はあくまでオプションに過ぎません。
ところが、現在のカリフォルニア大学では、この学力テストが選抜基準から完全に外されています。その結果、入学後に授業についていけない学生が増加。「大学で中学・高校レベルの数学を教え直さなければならない」という深刻な事態に陥っているのです。
では、なぜ世界トップレベルの公立大学が、学力テストを入試から外してしまったのでしょうか。そこには、コロナ禍と「格差是正」という大義名分がもたらした、皮肉な誤算がありました。
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コロナ禍が引き金となった「学力テスト廃止」の潮流
この学力テストSATやACTの扱いが大きく変わったきっかけは、コロナ禍でした。世界各地でSATやACTの試験会場が閉鎖され、「受験したくても受けられない」高校生が続出したのです。これを受けて多くの大学が「SATやACTのスコア提出は任意とし、出さなくても不利にはしない」という方針に切り替えました。テストの点数に頼らない入試を模索する動きが、一気に広がったのです。
しかし、この動きの裏にはもう1つ、アメリカ社会の根深い問題がありました。
SATやACTは以前から「家庭の年収が高いほど点数が高くなる」というデータが指摘されていました。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の著書『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)でも描かれているように、高額な家庭教師や個別指導塾といった「対策ビジネス」に課金できる富裕層の子どもほど、高いスコアを獲得できる構造になっているからです。
そのため、「学力テストは、本当の能力ではなく親の経済力を映しているのではないか」という批判が強くなっていました。公平性を考えると、「テストの点数だけに頼り過ぎる入試はよくない」という意見が増えていたのです。
そこにコロナ禍が重なったことで、「学力テストをなくしていこう」という流れが一気に進んだのです。
実際、SATやACTの点数を合否の材料から外した大学では、合格者に占める低所得層の割合が増えたというデータもあり、この改革は成功したかに見えました。
「経済的弱者を救う」という正義の裏目
このトレンドに対して、アメリカの大学の間でも対応が分かれました。難関私立大学やアイビーリーグの多くが「提出は任意」にとどめたのに対し、公立大学であるカリフォルニア大学はさらに踏み込みました。彼らが採用したのは、スコアを提出しても入試の判定では一切使わない、つまり「提出しても意味がない」という完全な不採用方式です。
公立大学として、経済的に恵まれない学生にも広く教育の機会を提供したい、入試から親の経済力による格差を排除したいという強い理念が背景にありました。
しかし、この「正義」が裏目に出ます。学力テストという客観的なフィルターを完全に失った結果、大学の授業に全くついていけない学生が増え、現場の大学の教員たちが「SATやACTのスコアを提出させ、入試で合否の判定に使ってほしい」と大学に訴えることになったのです。



