昭和天皇「お米の料理でした」。外交官が90年前の記憶を追跡し、判明した“幻のメニュー”の正体

昭和天皇とスペイン王室の交流をめぐる、知られざるエピソード。90年前の昼食会の記憶を手がかりに、一人の外交官の執念が、“幻のメニュー”を解明へと導きました。皇室の記憶がつないだ両国の関係をひも解きます。(画像出典:ロイター/アフロ)

「あなたのおじいさんにごちそうになった」

日本滞在中、フアン・カルロス一世と昭和天皇との間で次のようなやりとりがあった。

昭和天皇「私はあなたのおじいさんにごちそうになったことがあります」

国王「いつですか」

昭和天皇「私は若いころ欧州を歴訪しましたが、パリに滞在していた時、あなたのおじいさんから昼食会に招いていただきました。スペイン大使公邸で何を食べたか、今も覚えています。お米の料理でした」

国王「パエリアだったのではなかったですか」

国王の滞在中、昭和天皇は二度にわたって同じ話をしている。

一度目は、迎賓館での歓迎式典を終え、皇居に移動する車中。二度目は同じ日の夜、晩餐会が終わったあと、食後酒を傾けながらの歓談のひとときだ。よほど思い出深い出来事として昭和天皇の記憶に残っていたのだろう。

このやりとりが間接的に吉川氏の耳に入った。

埋もれていた歴史を追いかけて

昭和天皇は皇太子だった1921年3月から9月までの半年間、欧州を歴訪している。当時のスペイン国王はアルフォンソ一三世(1886~1941年)で、フアン・カルロス一世の祖父に当たる。

皇室とスペイン王室の間に戦前にさかのぼる関係があったことは知られておらず、吉川氏も驚いた。スペイン担当の同僚たちも初耳だった。

国王に同行していたスペイン側の随員にたずねても「両国の皇室・王室がそんな古くに交流があったとは知らなかった」との答えが返ってきた。

このエピソードは吉川氏の頭に強く残った。

なぜ昼食会が持たれたのか。それまでに日本とスペインの間でどのようなやりとりがあったのか、昼食会ではどのような話題が交わされたのか……。

スペインに赴任する外務省の同僚に昼食会のことを伝え、調べてみてはと勧めもした。しかし何の音沙汰もないまま歳月が過ぎた。

吉川氏が自分でこのことを調べようと決めたのは2006年、自身が駐スペイン大使に任命されてからだ。それは氏が大使として自分に課したミッションの一つ、「皇室とスペイン王室の関係を深める」こととも関係していた。

見つからなかった“昼食会の謎”

皇太子のスペイン訪問、国王夫妻の来日、戦前における皇室とスペイン王室の交流の解明と、日西両国の友好に小さくない役割を果たした吉川氏だったが、解明できないことが一つあった。

どのような料理がスペイン大使公邸の昼食会で出されたのかだ。これはスペイン側資料からも出てこなかった。

昭和天皇は「お米の料理」と言い、フアン・カルロス一世は「パエリアではないか」と推測した。

しかし吉川氏には「国王主催の昼食会で、パエリアのような庶民料理が出るだろうか」という疑問があった。

同氏はスペインでの調査と並行して、宮内庁の書陵部に連絡し、この昼食会のメニューを調べてくれるよう依頼していた。書陵部では『昭和天皇実録』のための資料整理が行われていた。

メニューが見つかったと連絡があったのは国王の訪日から4年後の2012年、吉川氏は経済協力開発機構(OECD、本部・パリ)の日本大使をしていた。

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ついに明らかに! 90年前の昼食会で何が出されていたのか?
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