慰霊の対象は「すべての犠牲者」
「慰霊の旅」は基本的には日本の犠牲者を弔うものだった。しかし日本本土はともかく、米軍との激しい戦闘が繰り広げられた地では、犠牲者には米兵もおり、また現地の住民や外国の民間人もいた。こうした場所では両陛下は全犠牲者を慰霊の対象にした。
例えば、米自治領のサイパンでは、上陸作戦を行った米側に3500人近くの戦死者を出し、日本の植民地下にあった朝鮮からの移住者なども犠牲になっている。
サイパンの住民も同様だった。両陛下のサイパン行きが明らかになると、米国の元軍人や遺族から反対や懸念の声が上がった。韓国でも反対が起きた。
このとき日本政府が米国に強調したのは「慰霊は日本人だけでなく、すべての犠牲者が対象である」ということだった。この言葉は米国側を安堵させた。
平和国家のイメージを発信
軍国主義・日本の復活への疑念が消えないのには幾つか理由があった。
まず、戦争の記憶がまだ完全に歴史とはなっておらず、日本の占領を体験した人が多く生存していた。また、日本の急速な経済発展と東南アジア進出が、大戦中の日本を思い起こさせた。そしてもう一つは、昭和天皇の存在だ。
昭和天皇が戦争を止められなかったことに忸怩(じくじ)たる思いを抱き続けたことは、日本ではよく知られている。
しかし外国では、昭和天皇が象徴という存在になったとはいえ、引き続き元首の地位(外国ではそう位置付ける)にとどまっていることは、日本が戦前との連続性を保持し続けているという心証を与えていた。
昭和天皇が亡くなったとき、「葬儀に出席すべきでない」との反対が幾つかの国で起きたのは、「昭和天皇は戦争の最高責任者」との認識が広く浸透していたからだ。
その意味では、外国にとって先の天皇は白紙ともいえる存在だった。



