目玉となるのは、坂口健太郎と渡辺謙の初共演にして、両者の鬼気迫るという言葉でも足りないほどの熱演。重厚なドラマはもちろん、先が気になるエンタメ性も高い日本映画として、幅広い層に大推薦できる内容になっていました。魅力を5つに分けて紹介しましょう。
1:『The Final Piece』という英題が示す通りのヒューマンミステリー
内容を端的に示すのであれば、「殺人事件の真相および、その容疑者となった人間の壮絶な人生が、パズルのピースを集めるように明らかになっていくヒューマンミステリー」です。
理屈で考えれば「わざわざ自分が犯人だと主張するようなものを遺体と共に埋めた」ことになるでしょう。もちろん劇中の刑事たちと、映画を見ている観客は、その不可解さを抱えたまま真相を追います。
その捜査と並行して、上条桂介の幼少期からの人生が明らかになり、「本当に彼は殺人犯なのか?」という疑問はもとより、この世の負の側面を煮詰めたような壮絶な人生、あるいは「生きてきた証」ともいえる物語にも、グイグイ引き込まれるようになっています。
本作の英題の「The Final Piece」が示しているように、事件の真相と人生にまつわるパズルの最後のピースがどこにあるのか……その先にある、深い余韻を残すラストシーンを、決して忘れることはできないでしょう。
2:坂口健太郎が流した涙に同居した矛盾した感情とは
「もういいから! 幸せにさせてやってくれよ!」と感情移入してしまうこと、そして上条桂介という人間が「本当に生きている」とまで思えるのは、言うまでもなく坂口健太郎という俳優の力によるもの。
坂口健太郎の元来の親しみやすい雰囲気が根底にありつつも、何かの事象に深く思慮を巡らせる誠実さを感じさせる役柄としては、2022年の『余命10年』が比較的近い印象です。
実際に熊澤尚人監督が抱いていた坂口健太郎のイメージは「繊細さが光るラブストーリーが似合う俳優」だったのですが、今回は「彼の大人の魅力をもっと見てみたい」という期待を込めてのオファーだったのだとか。 そして、熊澤監督が今回の映画で「どうしても撮りたかった」と語るのは、とあるシーンで上条桂介が涙を流す場面です。その涙を「憎んでいたのに悲しい、悲しくないはずなのに涙が流れる、憎んでいても実は愛情もあったという人間の矛盾、心が勝手に泣き始めて流れる涙ですね」と、熊澤監督は考えていたのだとか。
確かに、その時の坂口健太郎の表情には、何度も繰り返せない芝居を5テイクほど重ねた苦労も報われる「悲しさ」と「愛情」、さらには「希望」と「絶望」という、矛盾した感情が同居していました。
なお、坂口健太郎は「33歳の自分にこの役が来たということは、33年間分の自分を含めて芝居をすることだと思っていました。演じながら苦しくなることもしんどくなることも多かったけれど、3人からそれぞれの愛情を感じていました」とも語っています。
その3人とは、幼少期から本当の息子のように接してくれた唐沢(小日向文世)と、後述する父親の庸一(音尾琢真)と、そして複雑な関係となっていく東明重慶(渡辺謙)だったのだとか。それぞれの愛情をどのように坂口健太郎が表現したのかにも、ぜひ注目してください。



