4:通常の映画とは違う特徴がある
さらに、「劇場版『鬼滅の刃』にはほかの映画作品とはだいぶ異なる特徴がある」ため、「ほかの映画を『鬼滅』と過剰に比較してしまわないだろうか」「『鬼滅』のフォーマットに慣れた人は他作品を素直に楽しめるのだろうか」と思ってしまうところもあります。例えば、劇場版『鬼滅』は「テレビアニメから続く内容」かつ「原作漫画の人気エピソードがようやくアニメで観られる」内容であり、ファンが期待を高めるからこそ、より物語の盛り上がりや感動が増しているといえます。
これまでの人気アニメの劇場版は「オリジナルストーリー」で作られることも多かったのですが、『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』 や『チェンソーマン レゼ篇』も『無限城編』と同様の「テレビアニメの続きがやっと見られる」形式であり、それはもちろんファンが求めるものとしても、商業上でも「正解」ではあるのでしょう。 しかしながら、世の中のほとんどの映画は「その1作品だけで完結する」ものです。そのため、やはり関連作品などがないオリジナル企画の映画や、原作が有名ではない映画はより訴求しにくく見られないのではないか、見られたとしても「知らない人や知らない話なので興味が持てなかった」となるのではないか……と心配をしてしまうのです。
また、『鬼滅』のアニメはバトルシーンの圧倒的な作画クオリティーを極めた、ある種の「足し算」的な作りで、濃厚かつ見応えのある内容に仕上がっています。もちろんそれ自体も素晴らしいことですが、映像作品の表現は多種多様であり、静謐(せいひつ)な表現や落ち着いたトーンの作品もまた良いものです。
『鬼滅』とは異なるタイプの映像作品の良さを、作品自体を見ることで知ってくれることを願っています。
5:「弱者」に対するメッセージは誠実、ただし「危うさ」もある
『鬼滅』は、「鬼」という不老不死かつ強大な力を持ち人間を喰らう存在を通じて、「強者が弱者を踏みつけにする」ことの愚かさや浅ましさを描いてきた作品であり、今回の『無限城編』はそのことが際立っていました。それはさまざまな対立や分断の問題がある今の世では、とても重要なメッセージだと感じています。 例えば、今回の敵となる猗窩座(あかざ)は「弱者が淘汰されるのは自然の摂理にほかならない」という「弱肉強食」を自分の価値観に引き寄せた勝手な持論を語っています。それに対して主人公の竈門(かまど)炭治郎が返した「お前の言ってることは全部間違ってる」「お前が今そこに居ることがその証明だよ」から続くとある言葉は、正論中の正論でした。その後に語られる猗窩座の過去の物語では、弱った人への献身がいかに尊いことか、そしてそれを蹂躙(じゅうりん)することがいかに間違っているか、はっきりと分かるでしょう。
一方で、『鬼滅』には、(鬼になっているが人間を襲わない竈門禰豆子を除いて)「鬼を殺すべき存在だと断定している」ことへの危うさを覚えることもあります。それでも、実際に『無限城編』の物語を見ればこそ、多くの人が「弱さ」に対して「人として正しいことを目指すようになれる」と、信じたいのです。
いずれにせよ、その「弱さ」のメッセージも含めて素晴らしい『無限城編』が歴史的な大ヒットをしていることは、本当に喜ばしいです。『無限城編』を見た人の中から、ほかの映画も劇場で見る映画ファンが増えていくこと、映画業界のさらなる盛り上がりに期待しています。
※禰豆子の「禰」は「ネ+爾」が正式表記 この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。