ヒナタカの雑食系映画論 第176回

【ネタバレ考察】『スーパーマン』劇中のメッセージ映像は本当にフェイクだったのか。その真偽より重要なことは

2025年版『スーパーマン』における、劇中の「衝撃的なメッセージ映像」が「本当にフェイクなのか?」という疑問について、5つのポイントから解説・考察してみます。(※画像出典:(c) &TM DC(c)2025 WBEI)

5:スーパーマンでなくても、彼のような良い行いはできる

そして、劇中のメッセージ映像がフェイクか本物かどうかは、本作の物語において究極的には重要ではないと思います。

本質的なメッセージは、地球人の両親がスーパーマンに言った通り、「何を選び、何をするのか、それが本当の自分を決めるんだ」ということにあり、つまりは「より良い選択と行いをすることがアイデンティーにもつながる」ことでしょう。
スーパーマン
(c) &TM DC(c)2025 WBEI
そして今回のスーパーマンは、多くの批判を受けているキャラクターでもありました。「目の前の命が失われているんだ!」と絶対的な善性を掲げる一方で、それ以外のことをほとんど顧みず、多少エゴイスティックな一面を持っていたのも事実です。

物語では、スーパーマンの善性をもちろん否定はしていません。そしてこれまでは“ウザい”キャラクターに見えたグリーンランタンが、スーパーマンの『代打』だと少年に宣言し、戦争に介入して助けてくれる場面は、非常に感動的でした。それは、スーパーマン自身ではなくても、スーパーマンのような善性を体現する選択や行動ができるという、大きな希望が示されているからだと思います。
ほかにも、ロイス・レインやジミー・オルセンが記者として奮闘し、ルーサーの裏取引を告発したり、ルーサーの恋人で自撮りが大好きなイブの写真が貴重な情報源になるなど、「スーパーヒーローでなくてもできること」もはっきり示されています。自身がスーパーマンでなくても、現実にスーパーマンがいなくても……人それぞれが、スーパーマンのように、そして彼を支持する人々のように、より良い選択をして行動することはきっとできるはずです。

おまけ:エンドロール後のシーンの意味は?

さらに、エンドロール後には、建物に残った「裂け目」を目の前にしたスーパーマンが「元通りになっていない」ことをやんわり伝えようとするも、ミスター・テリフィックが怒ってしまうという、コミカルなシーンがありました。

スーパーマンがこの時「またやっちゃった」と告げたことは、彼もまた完璧ではないということ、裂け目が示す「分断」を元通りにすることは容易ではない、というメタファーでしょう。しかし、それでも、何かの「善行」をしようとする意志は世界を変え得るかもしれない。それこそが今回の『スーパーマン』の意義だと思うのです。
スーパーマン ディレクターズカット(字幕版)
スーパーマン ディレクターズカット(字幕版)
マン・オブ・スティール(字幕版)
マン・オブ・スティール(字幕版)

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
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