3:意外に「しっとり」した最終作? 「狂気」がトム・クルーズ自身に重なる
タイトルに『ファイナル』と銘打たれており、(おそらくは)シリーズの最終作でもあるため、「ド派手なフィナーレ」を期待する人もいるでしょう。しかしながら、本作の印象は全体的には「しっとり」とした、どこか「哀愁」を感じさせる内容でもあります。

さらに、予告編でも示唆されているように、今回の物語は「選択と結果」を巡る物語でもあります。今回のイーサンはタイトルコールの直前にはっきりと「危うさ」、いや「狂気」をも見せており、その様はコメディーとしてクスッと笑えたりもします。
それと同時に、彼の選択が常に正しいとは限らない――それでも、彼の中には仲間を心から思う気持ちが確かにある。そんな矛盾や複雑さも内包しています。世界もイーサン自身も「窮地に追い込まれる」物語は、哀愁を超えて「悲壮感」すら抱かせるのです。

さらに、6作目『フォールアウト』ではCIA長官だったエリカ・スローン(アンジェラ・バセット)が、今回はアメリカ大統領になっており、イーサンだけでなく彼女にも大きな選択が迫られることも重要です。

4:「寂しさ」も織り込み済みの作風かもしれない
そうした作風は賛否が上がる理由ですし、特にアクション映画としての「痛快さ」を求める人にとっては、期待とややズレてしまうのかもしれません。特に初めの1時間半は「過去の出来事」や「絶望的な状況」に重きを置いた展開が多く、その「説明」が正直に言って、よくも悪くも「長い」印象がありました。個人的には、荒唐無稽なガジェットが登場し、エンターテインメント性がとても高かった4作目『ゴースト・プロトコル』が最も好みで、単体で楽しめる作品として勧めやすいというのも事実でした(『ゴースト・プロトコル』はシリーズ初見の人にもおすすめです)。対して、今回の『ファイナル・レコニング』は「過去作ありき」で、少し敷居の高さを感じたのも正直なところです。
しかし、見終えれば「『ファイナル』がこの作風で良かった」「この長さもやはり必要だった」と振り返ることができました。その理由の1つが、これまでアクション映画のスターとして大活躍をしてきたトム・クルーズが(今回でなくても)いずれは引退するという、寂しくはあるけれど、紛れもない事実と重なることです。
今回はイーサンとの「(いったんの)お別れ」ともいえるため、作品に漂う「寂しさ」は、必然性があるもの。見終わってみれば、前半の「振り返り」は、その寂しさをさらに際立たせるための、必然的な構成だったと思えます。
それでいて、6作目の『フォールアウト』でも特に印象的だった“トム走り”を筆頭に、トム・クルーズの「観客を全力で楽しませる」気概は、今回も全力フルスロットル。還暦を超えてなお、文字通りに「全力疾走」するトム・クルーズおよび、イーサンの“最後の奮闘”は、やはりスクリーンで見届けてほしいです。
なお、トム・クルーズは現在『トップガン』シリーズ第3弾が進行中であることを明かしているほか、アメリカで行われた『ファイナル・レコニング』のプレミアイベントでは「100歳になるまで映画を作り続けるかも」ともコメント。今回がイーサンとのお別れだとしても、これからもトムの活躍を追えるという喜びは、まだまだ続きそうです。