日本独自のアレンジと問題提起も
リメイクにあたって日本独自のアレンジもあり、それは舞台の“見た目”にも強く表れています。例えば、オリジナルの『テロ, ライブ』でのテレビ中継は小さな部屋で行われていたのですが、今回の日本リメイクでは広いスタジオへと変更されています。しかも、「テレビ局のスタジオを丸ごと作り込み、ライブ感を徹底的に重視して複数カメラで同時撮影。最大10分以上の長回し撮影を何度も敢行」という大掛かりなことをしているのです。
さらに、クライマックスの展開はかなり「攻めて」います。オリジナル版にあった不義理を働いた権力と不正への批判のみならず、過剰な主張で視聴者を誘導するテレビという媒体の欺瞞(ぎまん)性を暴くようでもあり、はたまた不謹慎なことさえもエンタメ化してしまう浅ましさを風刺しているとも感じられます。
ここは良くも悪くも居心地の悪さを覚える、賛否両論も呼ぶところでしょうし、筆者個人もまさかの幕切れに「えっ!?」と驚いてしまったことも事実です。しかしながら、決して口当たりの良い終わり方はしない、だからこそ観客に複雑な思考を促すことは、本作の誠実なところでもあると思うのです。
「“バズ狙い”や“自撮り文化”などがその(疑似イベントの)一例ですが、誰もがSNSを通じて“見られること”を意識して生きていますよね。その象徴として、主人公の折本を設定しました。いま起きていることをどうお客さんに伝えるのが最適か瞬時に判断して、演じていける人物。どこまでが彼の本意で、どこまでが計算なのか――阿部寛さんの演技で、一層深みが出たと感じます」
この言葉通り、普段何気なく触れているSNSやテレビについて、「見られる立場」から考えることのできる内容でしたし、阿部寛演じる主人公の本意がつかみにくいこともまた、受け手が主体的に考える材料になっており、だからこそ生まれる「宿題」を持ち帰ることできると思うのです。
ミュンヘン五輪の実際のテロ事件を描く映画も公開
『ショウタイムセブン』は完全にフィクションですが、2月14日からは同じようにテロ事件におけるテレビの舞台裏を描きながらも、「実話」を映した映画『セプテンバー5』も公開されます。同作は第97回アカデミー賞で脚本賞にノミネートされています。描かれるのは、ミュンヘン五輪開催中の1972年9月5日に、イスラエル選手が人質となる五輪史上最悪のテロ。その歴史的中継は、ニュースとは無縁のスポーツ番組チームが行っていたのです。情報が錯綜(さくそう)している中で決断を迫られる、テレビクルーたちの緊迫感に満ちた時間を擬似体験できることに、大きな意義がありました。
『ショウタイムセブン』と『セプテンバー5』は題材と視点が似ていながらも、映画としての見せ方や作品が目指す方向性が、対照的に見えることもまた興味深いものがありました。ぜひ併せて見ていただきたいです。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。



