3:「秩父三部作」の延長線上にある、脚本家・岡田麿里の到達点
長井龍雪監督×岡田麿里の脚本×田中将賀のキャラクターデザインによるテレビアニメ『あの花』および、アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』と『空の青さを知る人よ』は、いずれも岡田麿里の出身地である埼玉県秩父市を舞台にしており、「秩父三部作」とも銘打たれていました。今回の『ふれる。』では、主人公たちは東京に進出しているわけですが、その「秩父三部作」の延長線上にある作品、またはその集大成、さらには岡田麿里という脚本家の到達点だと思うことができました。
例えば、『あの花』では小学校から高校生までの時間経過がある中で、幽霊の少女の存在をもって、キャラクターそれぞれの「秘めた思い」を示していました。 『心が叫びたがってるんだ。』では幼少時のトラウマが影響してしゃべれなくなってしまった少女を通じ、「誰かを傷つけてしまったことへの後悔」を描いていました。 『空の青さを知る人よ』では大人と少女、それぞれの視点を介して「(秩父という場所の)内と外それぞれの可能性」を示していました。 脚本家の岡田麿里の経験や心理が、それぞれの作品で確実に反映されていることも重要でしょう。例えば、『あの花』の主人公である引きこもりの少年は、自身も引きこもりだった岡田麿里自身の姿にも重なりますし、そのほかの作品でも岡田麿里は一貫してコミュニケーション不和の物語を、「秘めた思い」や「誰かを深く傷つけてしまったことへの後悔」を含め、ほぼ一貫して描き続けています。
岡田麿里の自伝本『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』(文藝春秋)を読めば、それらがいかに自身の経験に基づくものだったかが分かるでしょう。
今回の『ふれる。』では、主人公3人は20歳という年齢で、仕事や将来の悩みに直面しています。そこにも、コンピューターゲームの専門学校に入るために上京し、脚本家を目指すことになった岡田麿里自身の経験や心理が反映されているのは、ほぼ間違いありません。
『空の青さを知る人よ』で示されていた「外の可能性」を、『ふれる。』ではこれまでの“秩父市”ではなく、東京という具体的な場所で描いているとも解釈できるのです。
さらには、岡田麿里が脚本と監督を務めたアニメ映画『アリスとテレスのまぼろし工場』は「ここ以外のどこにも行けない」閉塞感を、ファンタジー設定とダウナーな心理描写をもってつづった作品でもありました。 そんな岡田麿里が長編映画として、『アリスとテレスのまぼろし工場』で描いていた閉塞感を打ち破るかのように、東京という若者にとっての夢と希望がある場所に出て、コミュニケーションなどに悩みつつ、それでも尊い何かはきっとある、という作品を手掛けたことに感慨深さがありますし、一つの到達点を迎えたとも思えるのです。
「直接気持ちを伝える」尊さや意味を伝える優しい作品に
岡田麿里の脚本を形にした長井龍雪監督の言葉は、前述してきた『ふれる。』の攻めた挑戦と特徴と魅力を端的に示しています。まさにその通りで、『ふれる。』は不思議な生き物と出会ってから大人になった青年3人それぞれの、時には胸が痛くなりそうなギスギスも含めた関係性の変化を描きつつ、それでも「直接気持ちを伝える」尊さや意味を伝える、やはり優しい作品なのです。 劇中にファンタジーの生き物がいたとしても、現実のさまざまなコミュニケーションにフィードバックできる、非常に普遍的な物語であるのも間違いありません。1人でも「この映画を見ることができてよかった」と思える人が増えていくことを期待しています。言葉でうまくコミュニケーションできない少年が不思議な力を持つ生き物と出会い、それにより繋がった3人のお話です。
アニメーションで不思議な出来事が起こるのは幼少期や少年期が多いように思いますが、本作は不思議な生き物と共存し、そのまま大人になった青年達の物語。通常だったら主人公になりえない人物にフォーカスしています。
幼い頃と大人になってからの関係性の変化は誰しもが経験するもの。長く一緒にいるとつい相手を分かった気になり発言してしまったりもしますが、ちゃんと相手に直接気持ちを伝えてみよう、そんな風に感じてもらえる作品になっていたらと思います。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。