全体的に雰囲気も作劇も淡く、ふわふわとした心地良さに満ちていて、楽しくてかわいらしく迫力もある演奏シーンも含め、映画館で「浸る」ように見てこそ、真の魅力を堪能できる作品といえるでしょう。
テレビアニメ『けいおん!』(TBS系列他)や映画『聲の形』で知られる山田尚子監督が培ってきた、「繊細な感情を紡いでいく演出」や「かわいいキャラクターに目いっぱいの愛情を注ぎ込む」といった作家性を、全力ストレートで投げてきているともいえます。
そして、これほどまでに穏やかな空気に包まれているのに、大規模で公開される作品としてはむしろ「挑戦的でとがっている」印象さえも持つ、とんでもない内容だったのです。
ここからは、本作をもっと尊く感じられるであろう、5つのポイントについて解説します。
1:悪い人は出てこない、分かりやすい盛り上げ方もしない、ストレスを避けた内容の意義
『きみの色』の内容は、「3人の若者がバンドを組む青春音楽映画」です。しかし、大げんかをしたり、バンド解散の危機を迎えたりといった、分かりやすい盛り上げ展開は全くありません。それどころか、悪い人は1人も出てこないし、関係がギスギスすることさえもない、どこまでも優しい物語がつむがれています。 裏を返せば、「物語が平坦で物足りない」「淡々としていて盛り上がりに欠ける」といった否定的な声が届いてもおかしくない(実際に届いている)内容です。大衆向けの作品として、もっと事件を起こす、人間関係に波風を立たせる、といったチューニングをする方向性も、もちろんあり得たでしょうが、「そうしなかった」ことが重要な作品だと振り返ることができます。それは、パンフレットに掲載された山田監督の以下の言葉からも分かるでしょう。もちろん、観客にいい意味でのストレスを与えること、それでこそ強く感情を揺さぶる作品があってもいいでしょう。しかし、山田監督はそれを意図的に、強気どころか反骨精神を持ってまで避けていたのです。 物語の起伏が少ない分、アニメとしての丁寧な演出と、細やかな描写にハッと気付かされるところがあります。例えば、劇中で映る「2羽、または3羽の鳥たち」は3人の若者それぞれの距離感を示しているかのようです。そちらにもぜひ注目してほしいですし、「3人それぞれが別のアイスクリーム選ぶ」ことさえも、それぞれの個性を示しているかのような描写なのですから。今回の作品はストレスじゃない部分を大事にしていきたかったんです。生きているとストレスばかりなので、せめて映画の中くらいはこういう環類があっていいんじゃないかという気持ちもありました。裏切らない裏切りみたいなものもいいだろうかという気持ちですね。ちょっとした反骨精神でもあります。(中略)ストレスを除くというのは、ある意味、チャレンジでした。刺激がないと見えるかもしれないけれど、強気にいってみようと。できるなら許せる人でいたいし、許される人でいたい。そういうところも届くといいなと思います。
2:好きなことや、本当にやりたいことは、言ってしまっていい
では、ストレスを徹底的にまで避けた『きみの色』が何を描くかといえば、端的に言って「“好き”な気持ちと、選択を肯定する」尊さであると思います。 例えば、主人公の「日暮トツ子」は、「人の色が見える」特性を持っていますが、“変な子”と思われないようにと、普段は口は出さないようにしています(つい言ってしまう時もあります)。だけど、その色が見えることは、誰もが抱く「言語化できない人の魅力や内面を感じる」ことなのだと、見ているうちに伝わってくるのです。古書店でいざ「私たちのバンドに入りませんか」と、思わず“言ってしまった”トツ子が、それを受け入れられることで驚きと喜びで胸がいっぱいになるリアクションを見れば、誰もが笑顔になれるはず。 物語が伝えてくれるのは、「好きなことや、本当にやりたいことは、うそでごまかさなくてもいい、言ってしまっていい」ということです。それは、祖母に学校を退学したことを隠している「作永きみ」も、母親に医者になることを期待されながらも音楽を愛してやまない「影平ルイ」も同様です。
そして、終盤のライブシーンでは、歌詞はもちろん、作曲へのアプローチにも、キャラクターそれぞれの好き(あるいは悲哀)が表れていることに注目してほしいのです。そこに至るまでに、3人それぞれが「積み重ねること」を振り返ると、何気ないやりとりがさらに尊くも美しく感じられたりもするのです。 ライブシーンでは、演奏していない間でもノリノリな動きをしているトツ子がめちゃくちゃかわいいのでそちらにも注目を。また、3人の若者を見守る立場で、落ち着いた大人に見える「シスター日吉子」の気持ちがはっきりと表れる様にも、ぜひ期待してみてください。