ディズニーの実写映画で見受けられる「工夫」を見てほしい
ディズニーの実写映画で、よく取り沙汰されるのは「ポリティカル・コレクトネス」。「社会における、特定のグループに属するメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策や対策」を示す言葉の総称ですが、「ポリコレ」と略した上で、さまざまな配慮がされたりオリジナルからの改変がある創作物に対し、ネガティブな意味合いで用いられることも多くあります。後述するように、近年のディズニーの実写映画では、配役に関する炎上が目立ってしまったのですが、それ以前の実写映画では批判意見はそれほど強くなく、特に2015年の『シンデレラ』は「オリジナルの物語への尊重」「価値観のアップデート」「新たな解釈を促す奥深さ」を備えた、理想的なリメイクとしてのバランスが取れていたとも思います。
そして、物語および表現では往々にして「実写リメイクのための工夫」が凝らされていることにも注目してほしいのです。
今回の『シンデレラ』を筆頭に、代表的なディズニーの実写映画作品を8作品挙げつつ、その理由を記していきましょう。なお、いずれも現在はDisney+(ディズニープラス)で見放題となっています。
1:実写映画版『シンデレラ』でより能動的になったキャラクター
2015年の実写映画版『シンデレラ』で語られているのは、「王子様との幸せな結婚をする」という、原作の童話およびオリジナルのアニメ版を尊重した、王道のプリンセスストーリー。しかし、シンデレラと王子が、より能動的な言動をするキャラクターになっていることが重要でした。
例えば、シンデレラは意地悪な継母と義理の姉たちの仕打ちにただ耐え忍ぶだけでなく、「今まで幸せに暮らしていた家を守りたい」としっかりした目的意識を口にしています。王子はオリジナル版ではほとんどバックグラウンドが見えない存在でしたが、今回は「弱小国のために政略結婚を迫られている」立場で、「周りが勝手に決めること」に自らの意志であらがおうとしています。
また、今回の王子は初めて会った時のシンデレラに自分の身分を教えず、あくまで「キット」という愛称で呼ばれる自分を見て欲しいと訴えているように見えます。シンデレラも、王子が気にしていた「見た目」や「お金」や「身分」を全く気にしない、ただ目の前にいる人に優しく親切な女性でした。
こうしたところから、オリジナル版と物語の大筋は同じであっても、「玉のこしに乗る」話ではない、2013年のアニメ映画『アナと雪の女王』に通ずる「ありのまま」の自分の肯定や、本当に愛する人との結婚の素晴らしさを訴える、現代的な価値観を示した見事なアップデートが行われているというわけです。
継母は単純な悪役ではなくなった
さらに重要なのは、オリジナル版の継母は分かりやすく悪人として描かれてたのに対して、今回は冒頭で「感性が鋭く、趣味の良い女性でした」「愛する人を失った悲しみを、美しく身にまとっていました」「とても快活な女性で、家に活気と笑いを取り戻そうとしていました」とナレーションで語られているように、「それだけではない」人物だと示されていることです。今回の継母は、シンデレラへの嫉妬心を抑えられず、彼女を家に閉じ込めてしまった以外でも、「自分の幸せにもつながる良い選択ができなかった」悲しい存在と言ってもいいですし、似たような境遇の人は現実にもいるのだろうと想像できる存在にもなっているのです。
黒人の護衛隊長が登場した理由
さらに、護衛隊長が黒人の男性(演じているのはナイジェリア系イングランド人のノンソー・アノジー)であることも、今回の実写映画のオリジナル設定。彼は「舞踏会で誰を呼んでも私は構いません、楽しければいいです」と「人を選ばない」言葉も告げており、その配役はもちろんキャラクター性からも多様性の肯定を訴えた存在といっていいでしょう。(劇中の衣装からすればおそらく)19世紀当時は、今よりも人種差別が苛烈で、王国の護衛隊長まで昇進するのは考えづらいでしょう。それでも、人種に関係なく、王子の良き理解者であり、「真実の愛」を信じてはっきりとした提言をする彼の存在は、決して短絡的な配役でも設定でもない、「ありのままのその人を見てあげる」大筋の物語とリンクする、大きな意義のあるものだったと解釈したいです。
2:実写映画版『美女と野獣』で波紋を呼んだゲイのキャラクター
2017年の実写映画版『美女と野獣』では、家具の召使いにチェンバロのキャラクターが追加されたり、パリのシーンが新たに作られたりするなど、オリジナル版から変更点がいくつかあります。そして、ゲイのキャラクターが登場する報道により、マレーシアでは公開が中止に、ロシアでは年齢制限付きで公開されるなど、波紋を広げました。
そのゲイのキャラクターの1人がル・フウ。しかし、彼がゲイであるとはっきりと示したシーンは劇中には存在しません。相棒である悪役ガストンへの言動から「ひょっとすると」と気付かせるようなバランスで、マレーシア政府がカットを要求したシーンもほんの3秒ほどであったそう。最後まで、彼がゲイだと気付かなかった人も多いでしょう。
個人的には、実写映画版のル・フウは相棒に複雑な思いを抱いている様に「愛情」が垣間見えるキャラクター描写として秀逸でしたし、決してオリジナル版をないがしろにもしていない、その「打ち明けられない」心情が伝わってくることにも切なさを感じたので、こちらも肯定したいのです。
ちなみに、劇中ではゲイのカップルがハッピーエンドを迎えたことが分かる描写もあったりします。終盤で女性の格好をさせられて喜んでいるキャラクターが、その後にどうなったのか、注目してみるとよいでしょう。