壮絶すぎる! 『ゲゲゲの鬼太郎』の生みの親、水木しげるの人生を追体験できる記念館がリニューアル
水木しげるさんの故郷、鳥取県境港市にある「水木しげる記念館」。2024年4月にリニューアルオープンし、水木さんの人となりがよく分かる展示になりました。同館と周辺の町の様子をリポートします。
水木しげるさんといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』や『悪魔くん』などの作品があまりにも有名。しかし、戦争で片腕を失ったり、質屋通いをするほどの極貧生活を経験したり、かなり壮絶な人生を送ったことはあまり知られていないかも?
“人となり”にフィーチャーした展示が見もの「水木しげる記念館」
波乱万丈の水木しげるさんの人生を追体験できるのが、故郷である鳥取県境港市にある「
水木しげる記念館」。13カ月の休館を経てフルリニューアルし、4月20日にオープンしました。以前の作品主体の展示から、より水木さんの人生に強くスポットライトをあてた展示に変わっています。先日、プレスツアーに参加し、リニューアル後の館内や周辺を見てきました。
常設展は少年時代から晩年まで、水木さんの人生を丁寧にたどっています。特に見応えがあるのが、第2章の「水木しげると戦争」の展示。戦争に行ったのは3年間で、水木さんの93年の生涯の中では短い期間ではあるのですが、展示ではかなりのボリュームを割いています。水木さんは戦争中、古兵によるいじめ、戦友との死別、マラリアの罹患(りかん)、そして爆撃によって左腕を失うなど、数々の過酷な経験をしました。
水木さんのコアなファンの多くは「戦争は先生の作品にも大きな影響を及ぼしている」と考えているようです。例えば、『ゲゲゲの鬼太郎』の中に、ねずみ男の「けんかはよせ、腹が減るぞ」というセリフがあるのですが、これも戦争反対を平易な言葉で表現したのかもしれません。
戦争から戻ってマンガ家になってからも、安い原稿料に苦しむ時代が長く続き、決して暮らしはラクではありませんでした。その頃の様子を描いたのが、2010年に放映されたNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』です。ただ、貧乏描写は現実よりかなりマイルドだったとか。リアルな貧乏具合は朝8時に流すには悲惨すぎたようです。
有名な「なまけ者になりなさい」をはじめ、数々の名言を残している水木さん。夫婦円満を長く続ける秘訣(ひけつ)を聞かれた時は、「相手に何も要求しない 何も期待しない」と答えています。
「若い貧乏な頃も、大御所になっても、発言は一貫していてブレがない。文化功労者に選ばれても屁の話が大好き。生き様やスタンスが変わっていないのが水木の魅力だと思います」と話す館長の庄司さんは、実はアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』第6期に庄司おじさんとして登場しています。
妖怪で町おこし! 至る所に妖怪の気配を感じる町
記念館のある鳥取県境港市は、水木作品で町おこしをしています。いわば、町全体が水木しげるワールド。ファンにはたまりません。
まず最寄りの空港の名前も「米子鬼太郎空港」。そして、米子と境港はラッピングが施された鬼太郎列車が結んでいます。
記念館の前の道は、約800メートル続く、その名も水木しげるロード。道の両側には妖怪のブロンズ像が並んでいます。その数は増え続けており、最近178体目が誕生しました。
通りには、実写版『ゲゲゲの鬼太郎』公開の際に主役のウエンツ瑛士さんが参拝に訪れた妖怪神社もあります。