アスリートの育て方 第10回

息子がサンフレッチェのユースに。元日本代表、駒野友一が同じ道を歩み始めたわが子に抱く思い【独占インタビュー】

アスリートが「どう育てられたのか」、そして「どう子どもを育てているのか」について聞く連載【アスリートの育て方】。今回は、元サッカー日本代表の駒野友一さんに、どのような教育方針のもとでわが子を育てているのか「子育て論」を聞いた。

今の子どもと保護者に伝えたいこと

現在、サンフレッチェのサッカースクールで幼稚園生から小学6年生までを教えている駒野だが、最近の子どもたちに思うところも少なくないようだ。
 
「僕らの時代とは違って、今は自由にボールを蹴れる場所も少なくなりましたが、そうした環境の中でどうしたら他の子よりもうまくなれるかを、もっと考えてほしいなって思いますね。グラウンドに5分でも10分でも早く着く。そんなことから始めてもいいんです。今の子って、リフティングで1度ボールを落としたら、そのまま休憩しちゃうんですよね。落としてもすぐにもう1回始めるとか、そうやって他の子に差をつけようとする子が少ないなって」
 
では、親たちはそんな今どきの子どもたちをどのように導けばいいのだろうか。駒野が大切にするのは、子どもの自主性だ。自分自身が、そうやって育ててもらったように。
 
「親があれこれと口を出したくなる気持ちも分かりますが、まずは子どもに考えさせることです。なぜ失敗したのか、あの時どうすれば良かったのか。最初に子どもの考えを引き出してあげて、そこにプラスアルファするように自分の思いを伝える。僕も息子のプレーがうまくいかなかった時は、なぜそのプレーを選択したのか、まずは彼の意見を求めるようにしています」

子どもたちに良い刺激を与えられるような指導者に

将来はプロの指導者を目指すという駒野。最後にこれからの目標についてこう語ってくれた。
 
「僕が小学生の時、少年団のコーチの弟さんがガンバ大阪にいた森下仁志さんで、そのつながりもあって仁志さん、それに礒貝(洋光)さんといったJリーガーが指導に来てくれたんです。サンフレッチェのユース時代は、同期の森崎和幸が僕よりも先にトップデビューを飾って、悔しい思いもしました。そんなふうに、サッカーと関わる中で刺激を与えてくれる人たちと出会えたことは、自分にとってすごく大きかった。だから僕も、まずは子どもたちに良い刺激を与えられるような指導者になりたい。そして一歩一歩階段を上って、いつかプロの監督になるという夢をかなえられたらと思っています」

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駒野友一(こまの・ゆういち)
1981年7月25日生まれ、和歌山県出身。サンフレッチェ広島のユースで育ち、2001年にJリーグデビュー。1年目から右サイドバックのレギュラーに定着した。2009年から在籍したジュビロ磐田では、2012年に自身初のJリーグベストイレブンに輝く。その後FC東京を経て、2016年7月からアビスパ福岡、2019年からFC今治でプレー。当時JFLだった今治をJ3に昇格させる原動力となった。日本代表では2006年と2010年のW杯に出場。2022年シーズン終了後に現役を引退し、現在は古巣の広島でスクールコーチを務めている。

この記事の執筆者:吉田 治良 プロフィール
1967年生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。2000年から約10年にわたって『ワールドサッカーダイジェスト』の編集長を務める。2017年に独立。現在はフリーのライター/編集者。
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