有害な男性性を示し、そして女性の自由意志を描く物語に
この『哀れなるものたち』の物語で重要なのは男性キャラクターです。例えば、天才科学者の教え子の男・マックスはベラの観察を命じられ、純粋無垢(むく)な彼女に戸惑いながらも惹かれていき、結婚までも考えるようになるのです。 そのマックスは善良な青年に思えますが、「有害な男性性」そのもののような弁護士・ダンカンも登場します。放蕩者の彼は一目でベラを気に入り旅へと誘惑し、ベラ自身も「世界を自分の目で見たい」強い願望を持っていたため、マックスは彼女を見送らざるを得なくなるのです。ベラは旅の道中で見る街や食べ物など、初めての経験に歓喜し、ダンカンとの性行為もあっけらかんと応じます。性描写のあまりの赤裸々ぶり、ベラが食事の席で性的な話題を大っぴらに話す様にはいい意味で笑ってしまいますし、ある種のすがすがしささえ覚えるほどです。 しかし、ダンカンはベラを自分だけのものにしようと船の旅へと連れ出し、その悪しき本性もはっきりと見えてきます。彼をありていに形容するのであれば、ナルシスト、自己中心的、女性蔑視的……など、現代でも残念ながらまったく他人事ではない、男性のイヤな面がありありと表れているのです。
そのダンカンを演じたのは、『アベンジャーズ』などでのスーパーヒーロー・ハルクで知られるほか、『フォックスキャッチャー』『スポットライト 世紀のスクープ』でもアカデミー助演男優賞にノミネートされたマーク・ラファロ。今回はこれまでとは違うイヤな男であるため嫌悪感を覚える一方、その情けなさがチャーミングにも思えてしまう、豊かなキャラクターになっているところも見どころです。
こうした男性像をもってして、この『哀れなるものたち』は、女性を「もの」のように扱う男性支配的な価値観への、強烈なカウンターとなっています。現在公開中の『VESPER/ヴェスパー』もそうでしたが、その支配的な環境から旅に出ることで、「女性の自由意志」を描く物語にもなっているのです。
『哀れなるものたち』というタイトルの意味は?
『哀れなるものたち(原題:Poor Things)』というタイトルの意味は、原作小説の序盤で「もの、はこの物語で何度も言及されており、また登場人物は誰をとってもどこかの段階で、哀れな、と形容されたり、みずからをそう呼んだりしている」と、原作者の主張として書かれています。女性を自分の意のままにしようとする男性の愚かさや、はたまた入水自殺をするほどに追い詰められる女性の悲しさなど、人間そのものの哀れさを示したタイトルといってもいいでしょう。 その後の物語は秘密にしておきますが、ベラの帰りを純粋に待ち続けるマックス、彼女へのいらだちを抑えきれないダンカン、そのほかの男性キャラクターおよび、ベラ自身、それぞれの哀れなるものたちの物語がどのような結末を迎えるのか、ぜひ期待しながら見るのがいいでしょう。