【ラー博】札幌「すみれ」30年前の濃厚味噌ラーメンが復活! “すみれオールスターズ”が交代で厨房に

新横浜ラーメン博物館「あの銘店をもう一度“94年組”」第5弾は、札幌「すみれ」が出店。“すみれオールスターズ”が交代で厨房に立ち、30年前の濃厚味噌(みそ)ラーメンが復活!

ラー博の岩岡館長が100回以上通って誘致

すみれ店主・村中伸宜(のぶよし)さん
すみれ店主・村中伸宜(のぶよし)さん

ラー博と「すみれ」との出会いはラー博がオープンする3年前の1991年に遡ります。ラー博の創業者である岩岡洋志館長は、調査のため、全国のラーメンを食べ歩いていました。その中で、岩岡館長は「すみれ※」のラーメンに相当な衝撃を受けたそうです。※当時は純連(すみれ)

すぐに「ラー博にご出店いただけませんか?」と伸宜さんに交渉しましたが、門前払いでした。

しかし、「顔を覚えてもらおう」と、岩岡館長はめげずに通い続けたのです。名前を覚えてもらえるようになると、待ち伏せし、競馬好きな伸宜さんと一緒に競馬に行くように。この熱意が実を結び、食事に行くほどの間柄まで進みました。

岩岡館長と村中さん(2012年撮影)
岩岡館長と村中さん(2012年撮影)

新横浜から札幌に通った回数は100回以上。そんな関係が2年ほど続いた後、ついに伸宜さんから「横浜で勝負したい。出店する方向で考える」とのうれしい連絡が入ったのでした。

屋号がひらがなの「すみれ」になった理由

1994年当時のすみれラー博店の外観
1994年当時のすみれラー博店の外観

1度は出店の方向で話がまとまりかけましたが、伸宜さんの家族の反対でラー博の開業7カ月前に白紙に戻ってしまいます。岩岡館長は「純連(すみれ)はラー博の目玉になるお店。店を作り、出店できるタイミングまで待つ」という決断を下します。

建設中のラー博を訪れた伸宜さんは、「家族の反対を押し切って出店する。だから申し訳ないが"純連"という屋号は使えない。平仮名の"すみれ"でもいいか?」と。3年の歳月を経て、札幌「すみれ」の出店が決まった瞬間でした。

伸宜さんは「お客さんが来るかどうかという不安よりも、この味が首都圏で通用するのか試してみたい、そして兄のお店(じゅんれん)を超えたいという思いの方が強かったです。私にとってはラー博の出店が人生の大きな分岐点でした」と当時を振り返ります。

すみれの味噌ラーメン
すみれの味噌ラーメン

「すみれ」は2004年でラー博を卒業しますが、2012年に2度目の出店を果たします(2018年に2回目の卒業)。常設店として再出店したのは、後にも先にも「すみれ」だけです。

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30年前の味噌ラーメンが復活
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