「子どもがやりたいことは可能なかぎりやらせてあげる」林家の教育方針
「当時、よみうりランドにすごく長いゴーカートがあって、それがちょうどヴェルディの練習グラウンドの近くを通っていたんです。そのグラウンドを見た時、『ここでサッカーがしたいな』って呟いたら、すぐに母がヴェルディのサッカースクールに入る手配をしてくれたんです」子どもの意思を尊重し、子どもがやりたいと思ったことは可能なかぎりやらせてあげる。それが林家の教育方針だった。
スクールで誰よりもうまかった林は、すぐさまヴェルディのジュニアチームに引き上げられ、以降、高校を卒業するまでのおよそ10年間、ヴェルディのアカデミーでプレーすることになる。
昼夜を問わず働いていた仕事熱心な父は「どっしり構える大黒柱」(林)で、相談相手はもっぱら母だった。中学生の頃、試合に出られなかった時期には「サッカーを辞めたい」とこぼしたこともあるが、その時も母の言葉が支えとなった。
「『陵平ならできるよ、もう少し頑張ってみたら?』って。あの言葉がなければ、プロになっていなかったかもしれません。将来はプロサッカー選手にしたいと思っていたかどうかは分かりませんが、常に僕を信じ、熱心にサポートしてくれましたね」
必要以上に干渉しない両親のもとで養われた「考える力」
「実は中学まではチームでも背が小さい方だったんです。それでもヴェルディのユースに上がれたのは、父が180センチちょっと、母が164センチくらいで、この子もそのうち大きくなるだろうと、ヴェルディのコーチたちが判断してくれたからなんです」
小学生の頃は、八王子からよみうりランドの練習場まで毎日の送り迎え。中学・高校時代も練習が終わって夜の9時くらいに地元の駅に着けば、父か母のどちらかが必ず迎えに来てくれた。そして試合になれば、時には飛行機に乗ってでも毎回のように応援に駆けつけてくれたという。
「いつも近くで見守ってくれましたね。私立高校(工学院大学附属高校)に通わせてもらいましたし、お金のかかることも多かったと思いますが、不自由なく本当に僕のやりたいようにやらせてくれました」
もちろん、あいさつや報告・連絡・相談の徹底など、人として当たり前のことは当たり前にやるよう育てられたが(そこは今でも口うるさく言われるそうだ)、「進むべき道は自分で決めなさい、ただあなたが決めたことに対しては全力で支援する」というのが基本的なスタンス。必要以上に干渉しない両親の教育方針があったからこそ、「自分で考える力」は自然と養われた。
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