アスリートの育て方 第3回

いくつもの試練に耐えられた理由は……日本ラグビー界の小さな巨人・田中史朗の「両親の教え」

アスリートが「どう育てられたのか」「どう子どもを育てているのか」について聞く連載【アスリートの育て方】の第3回。日本ラグビー界の小さな巨人・田中史朗がどのような両親の下で育ったのか、話を聞いた。

高校、大学、トップリーグ。史朗の躍進

そうした両親の理解と支えを受けて、花園(※)でベスト4入りを果たした史朗は、3年生の終わりに高校日本代表に初選出。卒業後は京都産業大学に進学し、ここでも4年次にチームを9年ぶりの大学選手権(2006年度)ベスト4に導くのだ。

「農家を継ぐのは大学を出てからでもいいかと当初は考えていたんですが、そこで将来もラグビー選手としてやっていく道が開けたので、こうして今も続けさせてもらっています。間違いなく今の自分があるのは、両親のおかげ。厳しい練習やいくつもの試練に耐えられたのも、中途半端はするなという教えがあったからだと思っています」

その後の活躍は、言うまでもない。大学卒業後は三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入団し、1年目からレギュラーを獲得してトップリーグ(現・リーグワン)優勝に貢献するとともに、自身も新人賞とベスト15をダブル受賞。そして、08年に初選出された日本代表では、ここまで歴代6位の75キャップを積み上げてきた。

「両親にはめちゃめちゃ苦労をかけました。自分が親になってみて、どれだけしんどかったかがすごく分かる。だからこそ、今はいろんな面で2人をサポートしてあげたいんです。オトンには好きなお酒をたくさん飲ませてあげたいし、オカンには好物の『餃子の王将』の天津飯をいつも食べきれないくらい買って帰ります。本当はもっと高価なものを食べさせてやりたいんですが、『天津飯がいい』って言うので(苦笑)」

怖かった父親との距離がグッと縮まったのは、大学時代のちょっとした喧嘩(けんか)からだった。父親に向かって手を上げそうになった自分を後悔し、あらためて大事にしようと心に誓ったという。今では実家に帰れば一緒に酒を酌み交わす仲だ。

「去年くらいですかね。初めてオトンとオカンに、テレビの取材を通してではなく、直接『ホンマ、ありがとうな』って伝えることができました」

そんな史朗を、酔って知人に自慢するのが、息子と同じく人見知りの父・義明の、現在の1番の楽しみだという。

※「東大阪市花園ラグビー場」で行われる全国高校ラグビー大会の通称


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田中史朗(たなか・ふみあき)
ラグビー元日本代表・田中文朗さん
ラグビー元日本代表・田中史朗さん

1985年1月3日生まれ、京都府出身。伏見工業高校の3年次に花園で4強、京都産業大学では4年次の大学選手権で準決勝進出の立役者に。2007年に加入した三洋電機(現・埼玉パナソニックワイルドナイツ)では1年目からレギュラーに定着。リーグ優勝に貢献し、自身も新人賞、ベスト15に輝く。2012年には世界最高峰のスーパーラグビーに日本人として初参戦。日本代表では2011年からW杯に3大会連続出場。2019年に横浜キヤノンイーグルスに加入、2021年からはNECグリーンロケッツ東葛でプレーする。


この記事の執筆者:吉田 治良 プロフィール
1967年、京都府生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、「サッカーダイジェスト」編集部へ。その後、1994年創刊の「ワールドサッカーダイジェスト」の立ち上げメンバーとなり、2000年から約10年にわたって同誌の編集長を務める。「サッカーダイジェスト」、NBA専門誌「ダンクシュート」の編集長などを歴任し、2017年に独立。

 

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