アスリートの育て方 第2回

「足りない環境を与える」それが僕の教育方針|元サッカー日本代表・佐藤寿人の子育て論

アスリートが「どう育てられたのか」「どう子ども育てているのか」について聞く連載【アスリートの育て方】の第2回。日本を代表するストライカーにまで上り詰めた佐藤寿人は、3人の息子をどのような教育方針の下で育ててきたのか。「子育て論」を聞いた。

才能よりも大切な「聞く力」

「僕は双子で3月生まれ。体格にも恵まれなかったし、アドバンテージよりもディスアドバンテージの方が圧倒的に多かった。才能だけなら僕より上の選手はたくさんいたし、才能だけで勝負していたら、たぶんプロには行き着けなかったと思います。常に今の自分に何かを付け加えていかないと、次のステップに進めない。だからこそ、特に子どもの頃は、自分の意見を主張するよりも、経験のある大人の意見に耳を傾けようとしていましたね

仮に才能が不足していても、“聞く力”があれば、少なくとも今の自分を更新していくことは可能なのだろう。たとえトップアスリートにはなれなくても、1人の人間として成長していくための糧は得られる。

愛情だけは注いできた、それだけは胸を張って言える

最後に、これまでの子育てに点数を付けてもらった。

「60点とか70点じゃないですか。自分としては良かれと思ってやっていることも、子どもたちからすれば、もっと違うやり方、違う言葉のチョイスがあったかもしれません。特に長男が生まれたときは、僕も21歳の若造でしたしね。もちろん、40歳を過ぎた今がちゃんとしているかと言われるとまだ分かりませんし、3人の子どもを育てながら、自分も子どもたちに育てられているような気もしています」

それでもと――と、つないだ言葉は確信に満ちていた。

とにかく、愛情だけは注いできたって、それだけは胸を張って言えます。自分のことはいつも二の次で、子どものために全てをなげうってくれた両親にも、そこだけはきっと負けていないと思いますよ」

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佐藤寿人(さとう・ひさと)
Jリーグ歴代最多220ゴールの記録保持者、佐藤寿人さん(ライター撮影)
1982年3月12日生まれ。2000年に双子の兄・勇人とともにジェフユナイテッド市原(現千葉)でプロデビュー。その後セレッソ大阪、ベガルタ仙台を経て、2005年にサンフレッチェ広島に加入。2012年には得点王とMVPをダブル受賞する活躍でチームをJ1初優勝に導く。2004年からJリーグ史上最長の12年連続二桁得点。J1通算161得点は歴代3位の記録。日本代表31試合・4得点。2016年に名古屋グランパスへ移籍、2018年には千葉に復帰し、2020年に引退。現在は主に解説者として活躍中。


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