「ひるみ続けるマスコミ組織人」に長澤まさみ主演『エルピス』最終回が灯した不穏の火

「業界視聴率が高い」ことでも注目された2022年秋ドラマ『エルピス-希望、あるいは災い-』(関西テレビ・フジテレビ系)。最近では現実に起きた官邸とマスコミの癒着疑惑が「まるでエルピス」とささやかれるほどの話題に。12月26日に放送された最終話を受けて、テレビ業界の内幕を知るコラムニスト・河崎環が「引き返すなら、やり直すなら、動くのなら、今なのだ」と説きます。

政治権力とマスコミの癒着疑惑に「まるでエルピス」

脚本の渡辺あやは「権力の横暴と、それに従属するばかりのマスコミ」「権力の横やりに報道がどうひるむのか、真実がどう闇に葬られていくのか」をこのドラマで描いたという。その言葉が言い当てた通り、マスコミが見せる忖度とは「権力へのひるみ」「組織人としての自分が今後の人生で不利になるのは困るというひるみ」なのだ。
 

大小一つ一つの忖度は、度重なることによって奇妙な自信に満ちた経験知となり、「それが世間なんだよ」「清濁併せ呑んでこそプロだろ」となり、やがて濁り水の味に慣れてそれしか飲んでいない自分にすら気づかなくなる。「如才なさ」を「優秀さ」と翻訳してきっちり身につけた勝ち組は、自分の姿こそが正しいのだ、他の奴らはボンクラなのだと、鏡に映った自分へ満足げな笑みを送る。
 

エルピスという聞き慣れない単語は、パンドラの箱の底に最後に残った希望や災いの予兆を指すという。それがドラマタイトルとして浸透し、最近の岸田総理の長男秘書官とフジテレビ女性記者の情報リーク癒着疑惑を評して「まるでエルピス」という表現がSNSに生まれるほど、このドラマによっていかにマスコミが権力との距離の塩梅の中で真実を手に入れたり葬ったり、「適切な時期が来るまで」寝かせたり起こしたりしているか、認識されたのではないだろうか。
 

だが同時に、その現場のマスコミ人たちが実のところいかに心身をすり減らし、病み、組織にしがみついたり組織を罵倒したり、正体の掴めない大きな存在に自分の人生を振り回されているのかも、認識されたように思う。
 

暴走する村井CP(岡部たかし)に起きた喝采

最終回のひとつ前となった第9話放送後、Twitterには「#村井さん」ハッシュタグが爆誕した。岡部たかしが演じた、『フライデーボンボン』の元チーフプロデュサー(子会社へ出向)、村井の暴走に対する視聴者の喝采である。
 

かつて報道局に26年間在籍し、大洋テレビの大看板である報道番組『ニュース8(エイト)』を担当していたが、報道への情熱が社内外の「事情」を刺激したことで外され、左遷先の『フライデーボンボン』CPの座も追われて子会社出向となった村井。『ニュース8』が今なお副総理・大門雄二の事件揉み消し疑惑を報道せず、権力に従属的な放送姿勢を続けることへ激怒した村井は、放送スタジオに殴り込み、パイプ椅子を振り上げてセットを叩き割る。「ざっけんな! ざっけんなてめえら! どいつもこいつも正義ヅラしやがって、腐れインチキどもが! 高尚ぶってんじゃねえぞ、大嘘つきが!」。
 

取り押さえられ、叫びながらスタジオの外へ引きずり出される村井の姿を遠巻きに眺めながら、『ニュース8』メインキャスターへと昇格していた浅川アナ(長澤まさみ)は、「いっそ木っ端微塵に壊れてしまえばいいと、本当は私も、願っていたのかもしれない」と独白するのである。
 

「忖度力」のジェンガとなった組織に、未来はない

「いっそ木っ端微塵に壊れてしまえばいい」。それは、特にいま放送業低迷にあえぐテレビマンたちが心の中に巣喰わせている、暗い感情かもしれない。
 

かつての栄華からはかけ離れた視聴率に、縮小する一方の製作費に、局上層部の顔色に、世間の顔も見えない表現警察に振り回されて、ズタボロになった制作の現場を見たことがある。家に帰れず疲弊しきった表情、何の通夜かと思うほどの重苦しい空気、余裕なくひりついたスタッフ間のやり取り、ヒソヒソと交わされる噂。ピカピカの学歴エリートでコミュ強で、知力にも体力にも優れていたからこそそんな有名企業に晴れて採用されたはずの有能な人々が、組織の論理にがんじがらめになり、ゾンビの集団のように「わかっていても本人たちもどうしようもなくなっていること」に、何より恐怖を感じた。
 

ドラマ『エルピス』でも、真実の報道を決めた浅川アナに、『ニュース8』同僚である滝川ディレクター(三浦貴大)はまくし立てる。「正気か? 無理だろ、ウチでできるわけないだろ!」「番組吹っ飛ぶぞ! どんだけの人間に被害が及ぶと思ってんだよ」「勘弁してよ、中学生かよ。狂ってるよ、お前狂ってるよ!」。組織の人間たちに被害が及ぶ、だからウチで真実なんて出せるわけがない、という彼の発想は、“組織人”の彼にとっては良識であり正義だ。でも本来の職業である“報道人”の正義から見たらどうなんだろう。そして、滝川はそんな自分の姿に本当は葛藤しているはずなのだ。
 

人の「能力」ではなくて「忖度力」のジェンガとなった組織に、未来はない。でも元々が絶対値として優秀な彼らのことだから、木っ端微塵とまではいかずとも、内側から進化して形態を変えていくのだろう。
 

副総理の懐刀となり、将来を約束されて退局した元官邸キャップの斎藤(鈴木亮平)に、村井(岡部たかし)は喫煙スペースで煙草をくゆらせて言う。「斎藤くん、引き返すなら今じゃないかな? でないとこの先はもう、戻ってこれねえぞ」。
 

テレビに限らずマスコミも、引き返すなら、やり直すなら、壊しにいくのなら、次へと動くのなら、今なのである。
 

河崎 環プロフィール
コラムニスト。1973年京都生まれ神奈川育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒。子育て、政治経済、時事、カルチャーなど幅広い分野で多くの記事やコラムを連載・執筆。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、政府広報誌など多数寄稿。2019年より立教大学社会学部兼任講師。著書に『女子の生き様は顔に出る』『オタク中年女子のすすめ~#40女よ大志を抱け』(いずれもプレジデント社)。
 

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