主要大学の「AOシフト」は日本の子どもたちをどう変えたか
一発の試験で合否が決まるのではなく、高校時代を通した学業成績や課外活動実績などの総合評価で選抜される自己推薦は、既に自分の「やりたいこと」が見えていて出身大学は自分の人生の過程の一つに過ぎないとロングスパンかつ自律的に人生を意識できている子どもや、複合的な理由で「一発試験に向かない(評価されにくい)子ども」に向いている。
少子化で大学の定員割れが起こり始めて大学入学の意味が変わり、学生にとっても大学にとってもゆっくりと準備できて不確実性が低い米国式のAO入試にはメリットが多いと認識されるのは必然でもあった。主要私立大学のみならず、いまや京大・東大などの国公立大にもAO・推薦入試枠が用意されている。
ただ、AO時代の子どもたちについて少し懸念していることもある。氷河期後の就活学生たちにも見られる傾向だけれど、小さい頃から大人に「自分という人間の価値」を客観視させられ過ぎて、自分の長所や短所って何か、社会のために貢献できることは何かと考えさせられ過ぎて、実に自分という人間に対して分析的すぎる。その結果、「自分はあれもできない、これもできない」とできないことばかり数えて、人の役に立たない自分は役立たずだと自分を責めて、自己肯定感が痩せ細っている子たちを見かけることがある。
そんなに若い頃から自分を掘り下げなくてもいいんじゃないの? だって掘り下げたってせいぜい20年くらいのもんなんだからさ。大人たちだってどうせハタチ前後の頃そんな立派な人間でもなかったくせに、いまハタチになるかならないかの子たちに「社会に貢献できる人間たれ」と呪いをかけて、徹底的な客観と自己分析を求めるのって酷じゃない? そんなふうに、そろそろ50になるのに掘り下げる中身の薄い筆者は思うのだ。
その結果、AO入試や新卒採用が「役に立つ僕/私」コンテストになっているのを見ると、ああ、これも表現法が変わっただけのミスコンだなと感じるのである。
筆者は今年26歳と17歳の子どもたちの母親として子育てをしてきたので、自分の世代がかつてくぐり抜けてきた「学業による下克上」が可能なペーパー型の一般入試の良さも、子どもたちの世代ですっかり広がった「多様な学生が評価されるチャンス」であるAO入試の良さも共に感じている。双方が共存している現代の大学入試のあり方を、社会的にバランスが取れているなぁ、いい世の中になったなぁ、と評価しているタイプだ。
だから冒頭の、広い世界を見てきたのを売りにしているはずの28歳の社会起業家が「学歴社会は格差の原因」などと断言してしまったのを見ると、うーんワンサイドな見方だな、まあ若いからまだ仕方ないよね、なんて思ってしまう。彼女がその特番で他の論客に見事に論破されていたとの話を聞くと、それこそいい経験をしましたね、なんて思う母心である。
河崎 環プロフィール
コラムニスト。1973年京都生まれ神奈川育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒。子育て、政治経済、時事、カルチャーなど幅広い分野で多くの記事やコラムを連載・執筆。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、政府広報誌など多数寄稿。2019年より立教大学社会学部兼任講師。著書に『女子の生き様は顔に出る』『オタク中年女子のすすめ~#40女よ大志を抱け』(いずれもプレジデント社)。
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