「餃子の王将」と「大阪王将」の関係
ご存じの方も多いだろうが、「大阪王将」というのは「餃子の王将」から「のれん分け」したもので、いわば「弟」と「兄」のような関係だ。
「餃子の王将」は加藤朝雄氏が1967年に京都で創業した。そして2年後の1969年、加藤氏と親戚である文野新造氏が「のれん分け」の形で大阪・京橋で営業を開始した。ゆえに当初は文野氏側も「餃子の王将」を名乗っていたのだが、その後に文野氏側が京都へ進出するにあたって、名称使用に関する訴訟が提起され最終的にこちらは「大阪王将」に落ち着いたというわけだ。
さて、このように聞くと、「大阪王将」はのれん分けをしてもらったくせに、本家の「餃子の王将」に迷惑ばかりをかけているような印象を受けるかもしれないが、実はそうとも言い難い。
先ほど、同じ「王将」の名で混同されて、何もしていないのに批判や苦情がくる「王将違いトラブル」は実はかなり以前からあると述べたが、実は過去には逆パターンもあった。
例えば、2010年にテレビ番組で王将フードサービスの「過酷すぎる新人研修」が紹介されて炎上したことがある。山の中での合宿所で怒声が飛び交う中、新人たちが大声を出してあいさつの練習や「王将体操」なるオリジナルの体操を叩き込まれる様子、新人が絶叫してスピーチをした後に、涙を流して役員を抱き合う光景が放映されると、ネットやSNSでは「アメリカの海兵隊のようだ」「宗教や自己啓発セミナーのよう」などの批判が多く寄せられた。
また、しばらくすると「餃子の王将」を休職中の男性社員から 「月100時間を超える時間外労働を強いられ、うつ病になった」と約2300万円の損害賠償を求めて提訴されるなどの労務問題も報道され、王将フードサービスは「ブラック企業大賞」にもエントリーされた。
こうした騒動が続けば当然、「大阪王将」と混同する人々が出てくる。ネットやSNSでは「大阪王将」のことだと勘違いをして、断罪するような人も現れたのである。
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