C51形蒸気機関車が登場する短編「列車」
太宰治の最初の短編集『晩年』に所収されている短編「列車」は、以下のような文章で始まる。
『1925年に梅鉢工場といふ所でこしらへられたC51型のその機關車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寢臺車、各々一輛づつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざつと二百名からの旅客と十萬を越える通信とそれにまつはる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から青森へ向けて走つた。』
鉄道について無関心であったのなら、このような文章は書けまい。鉄道ファンではなくても、鉄道に相当関心があったのではないだろうか。もっとも、C51形蒸気機関車が梅鉢工場(帝国車輛工業となった後、東急車輛と合併、現在は総合車両製作所となっている)で製造された事実はないので、このあたりは太宰の勘違い、あるいは創作であろう。
このC51形が牽引した列車は、上野発青森行きの103列車で、客車のうちの1両は「スハフ134273」だと太宰は記述している。これも該当する車番はなく、「スハフ34273(スハフ34200形)」の写し間違いあるいは何らかの意図をもって書き換えたのではというのが鉄道専門家の中での「定説」となっている。この形式は後にスハフ32形と改称され、JR東日本の動態保存客車の1両として現存している。
このように太宰治は、鉄道についていくつもの作品中でかなり詳細に書いている。鉄道ファンかどうかはともかく、「鉄分」の多い作家だったと言えるのではないだろうか。
【おすすめ記事】
・大井川鐵道の「きかんしゃトーマス号」 2022年度も出発進行!
・「東急グループ100周年トレイン」が運行開始! 記念列車を公開
・相鉄・東急直通線開業まであと1年! 鉄道ネットワーク7社局の車両がそろい踏み
・20000系との違いは? 相模鉄道が8両編成の新型車両21000系を運行開始したワケ
・西九州新幹線「かもめ」海上輸送で九州へ! 最新ショットを公開