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雅子さまを襲った苦難の日々
その後、宮内庁からは「皇太子妃が適応障害」と診断名が発表されましたが、精神科医のなかには、より進んだ状態、つまり、うつ病の可能性もあったのではないかと見る向きもありました。
適応障害もうつ病も、いずれも軽視すべきではない深刻な精神疾患です。しかしながら、当時はその理解が社会全体に十分行き届いていたとは言いがたく、妃殿下に対する世間の目は厳しいものでした。
雅子殿下のご体調には波があり、調子のよい時期には地方訪問などに同行なさることもありました。しかし、その際に新幹線の駅で妃殿下に向かって、「税金泥棒!」などと心ない暴言を浴びせる一般人がいたそうです。
雑誌記事なら目にしなければ済む話かもしれませんが、ご本人に面と向かって浴びせられる罵声は、治癒の妨げにしかならず、精神疾患についての理解が著しく欠如した発言だったといわざるをえません。
「守る」という言葉を貫いた30年
しかし、それでも天皇陛下は、当時からずっと、いやな顔ひとつ見せることなく、公務を丁寧に、誠実にお務めになりました。そしてご自宅では、心を病んだ奥さまに対し、「周囲の声など気にする必要はない」と慰めの言葉をかけ続けていらっしゃったのでしょう。
さらには、「秋篠宮殿下に天皇になっていただいたほうがよいのではないか」といった心ない声も、しばしば上がるようになりました。
月刊誌の文藝春秋では「秋篠宮が天皇になる日」と題した特集が組まれ、西尾幹二先生をはじめとする論者も、皇太子殿下(現天皇陛下)に対して厳しい批判を展開しました。「弟宮のほうがふさわしい」「今の皇太子には務まらない」といった論調が、保守系の言論人の間でも少なからず出ていたのです。
そんなときでも、天皇陛下は決して公務をやめようとはなさらなかった。ただ静かに、そして強く、耐えていらっしゃったのです。それは一時的な忍耐ではありませんでした。
30年という長きにわたり、皇太子としての務めを全うなさり、そのすべてを通じて、ただひたすら「守る」というお言葉を実行なさったのです。
この書籍の執筆者:竹田 恒泰 プロフィール
作家、実業家、皇學館大學非常勤講師。1975年、旧皇族・竹田家に生まれる。明治天皇の玄孫にあたる。慶應義塾大学法学部法律学科卒。専門は憲法学・史学。『語られなかった皇族たちの真実』(小学館)で第15回山本七平賞受賞。2021年に第21回正論新風賞受賞。『天皇の国史』(PHP研究所)、『現代語古事記』、『古事記完全講義、『竹田恒泰の特別講義 天皇と皇族』(以上Gakken)など著書多数。近年は、歴史教科書の執筆・出版、古墳型墓所の設計・販売なども行っている。



