評論家のネガティブな意見は褒め言葉にもなる?
一方で、筆者個人は決して「評論家がずれている」とは思えない、それどころか的を射た批評をしており、それは裏を返せば作品の魅力そのものではないか? と思う部分もあります。実例として、今回の『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』に対しての、「WBOC」のネガティブなレビュー記事の一部を抜粋してみましょう。
ほかにも、同レビューでは「設定が無理やりすぎではないか」「キャラクターの登場が“ファンサービス優先”になっていないか」など、総じて「多すぎる設定やキャラクターが、物語として有機的に機能していない」ことを批判されています。
ピクサー作品ではドラマチックなストーリーと感傷的な要素を重視していますが、残念ながら本作はそうした要素に関心を示しておらず、空虚で中身のない印象を与えてしまいます。さもなければ、この映画は熱狂的なファンである観客に拍手喝采を浴びせるための、任天堂ゲームのキャラクターたちのパレード(または連なり、見せびらかすこと、誇示)に過ぎないでしょう。
出典:Movie Review - The Super Mario Galaxy Movie | The M Report | wboc.com
その特徴はなるほど「映画の物語として考えると空虚にも思えてしまう」「ゲームのキャラクターのパレード(または連なり、見せびらかすこと、誇示)」のようなものかもしれませんが……いやいや、そのパレードって、実際に観てみれば楽しいのでは?と思えるのです。
それらの特徴は精緻に物語を組み立てているピクサー作品とは確かに異なる、クレイジーなまでの勢いのあるアニメの演出が魅力のスタジオ・イルミネーションの「らしさ」でもあります。
矢継ぎ早な編集や目まぐるしいアクションは、ゲームが好きな人はもちろん、ショート動画を見慣れている世代でも全く退屈させない、「今の時代のエンタメ」であると思えました。
しかし、それでも「クッパJr.と父親クッパの関係」と「ピーチ姫が自分のルーツを探す旅」という対比のある物語構造そのものと、キャラクターそれぞれ(特にロゼッタ)の感情の揺れ動きは、とても面白く仕上がっていたと思います。



