第97回米アカデミー賞にノミネートされた短編映画でも日本の小学校を描いた山崎氏。インターや海外留学という選択肢がある中で、なぜ日本の公立小が「優れている」と語るのか。
著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』(新潮社)から、世界を知る監督が行き着いた“究極の教育論”を抜粋・再構成して紹介します。
世界を知る映画監督があえて“日本の公立小”を選ぶ理由
映画『小学校』(※)が公開され、全国の映画館を回る中で「あなたは自分の子どもを日本の公立小学校に入れるのですか?」と聞かれることが多くありました。(※著者の監督作品である映画『小学校〜それは小さな社会〜』のこと)『小学校』プロジェクトが始まったのは息子が生まれる前ですが、その頃から一貫して「いつか子どもが生まれたら日本の小学校に通わせたい」と言い続けてきました。
この思いは、実際に息子が生まれ、さまざまな小学校教育の現場を取材した今、変わるどころか、むしろ強くなっています。
だから、この問いには「その予定です」とはっきり答えるのですが、そのたびに相手から驚かれるのです。
我が家の場合、夫がアメリカ人であることや私の経歴から、インターや海外の学校に行かせるなど他の選択肢がたくさんある中で、あえて日本の公立小学校を選ぶということが意外に感じられるようです。
それでも私は、地元にある日本の公立小学校に息子を通わせるつもりです。6歳から12歳という年齢の子どもに与える環境として総合的に見た時、日本の小学校教育はどのシステムよりも優れていると感じているからです。
もちろん、それぞれの場面を切り分けて見れば、日本の教育制度や環境には課題も多いと思います。それでも、その課題や欠点を上回る魅力が日本の小学校にはあるのです。
インターでは学べない「他者との摩擦」。日本の学校が持つ“全人教育”の価値
そのうえで、親として心がけようと決めていることがいくつかあります。まずは、学校に求めすぎないこと。
日本社会は、今まで学校にあまりにも多くのことを背負わせすぎてきました。学習面だけではなく、生活や道徳観までを教育の対象とする全人教育という理念に加え、近年は小学校でも英語教育やタブレットなどを使ったICT教育等、新たな「〇〇教育」と呼ばれるものが次から次へと導入されています。
今後も学校教育に求められる範囲は広がり続けることが予想されますが、これでは学校がパンクしてしまうのも無理はありません。
私からすれば、学校という場所の最も優れた長所は「いろいろな人が集まっていること」に尽きます。家庭の中ではどんなに頑張っても再現できない、他者との出会い、そして摩擦を体験できるのが学校の良さなのです。
自分とは違う子どもたちと出会い、共存していく。それを見守ってくれる存在である先生にも、もちろんいろいろな人がいる。友達の中にも先生の中にも、好きな人もいれば、苦手な人もいる。そういう環境だからこそ、生き方を学べるのです。
「それならば、多様なバックグラウンドの子どもたちが集まるインターの小学校に行かせた方が良いのでは?」と思う人もいるかもしれません。
でも、少なくとも私の通っていたインターでは子どもたちの「個」を伸ばすことを何よりも大事にしていて、他の人たちとの共生やコミュニティ作りを優先して学ぶ環境ではありませんでした。だから、やはり日本の小学校が良いと思うのです。
親として、息子が通うことになる学校に最も期待したいのは、日々の係活動や年に数回の行事を通して、子どもたちが責任を持って自分の役割を果たす経験で得られる教育的な価値です。
「非認知能力」という言葉が最近にわかに注目されていますが、学校でできる様々な経験は、今も昔も変わらず非認知能力を伸ばすものであったし、これからもそうあり続けてほしいと思っています。



