しかし、家に仕事を持ち帰る先生、休日も自主的に研修会に参加している先生も珍しくなく、こうした時間は調査結果には反映されていません。さらには規定により残業代も全額出ません(給与の4%が「教職調整額」として定額支給されるのみ)。
そのような状況から「やりがい搾取だ」と指摘されることもある教師という職業。それでも学校の先生がここまで頑張る原動力は、やはり子どもたちの成長を願う気持ちや、成長の瞬間を見た喜びでしょう。
日本の公立小学校に1年間密着したドキュメンタリー映画の制作を通じ、山崎エマ氏は「大人が一生目にすることのない、先生たちの見えない葛藤」を目の当たりにしたと言います。
異常な重圧を抱えながらも、教育者として子どもたちと並走する先生たちの知られざる姿を、彼女の著書『それでも息子を日本の小学校に通わせたい』(新潮社)から抜粋・再構成して紹介します。
日本の教師にのしかかる異常な重圧
大人になって小学校に戻ると、子どもたちだけでなく、自分と同世代の先生方にも興味が湧きました。子どもの頃は、「先生は『先生』という生き物だ」という感覚でした。しかし、当然ながら先生方も我々と同じ人間です。子どもたちの教室と同じように、職員室にもいろいろな人間模様があるのでした。
近年、学校の先生の仕事の「ブラックさ」、そして、その影響で教員のなり手が危機的に減っていることが話題です。一部の教員の不祥事もこの状況に拍車をかけています。
悪いニュースが繰り返し報道される一方で、真面目に職務をまっとうする多くの先生方の働きがクローズアップされることはほとんどありません。
生活面までが学校教育の範疇とされている日本社会では、他国と比べても社会が学校や先生に期待することが非常に多いです。
先生の仕事は教科の勉強を教えることだけ、という国も多い中、次世代の人間たちの価値観の善しあしにまで責任を負っている——その重圧たるや、我々の想像以上のものだと思います。
撮影現場の先生方も、やはり大変そうでした。
一方で、先生方が自分の仕事にやりがいや生きがいを確かに感じているのだろう、という姿もたくさん見ることができました。
運動会が無事に終わった後、先生方の表情には充実感があふれていました。子どもたちの成長を喜び合って、先生たちが涙する場面も目にしました。
「さっきの声がけ、間違っていたかも…」誰も知らない、退勤後の見えない苦悩
一方で、先生方の苦悩を感じることもありました。教育という正解がない課題を前に、毎日多くの子どもたちと向き合う中では、たとえその時はベストを尽くしたつもりでも、後になって「さっきの声がけ、間違っていたかもしれない」と後悔することは日常茶飯事です。
そうやって常に子どもたちのことを案じ悩みながらも毎日懸命に教壇に立つ先生方を前にするたび、深い感銘と感謝の気持ちが生まれました。
その度、同時に考えたのは「この場面は学校の『外』にいる大多数の大人にとっては一生目にすることのない光景なのだ」ということでした。



