9:エンディング・テーマには『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000年)の影響も
米津玄師と宇多田ヒカルのデュエット曲のタイトルは『JANE DOE』。その「ジェーン・ドゥ」とは、ありふれた名前だからこその「身元不明の女性」を指す言葉です。 レゼはソ連で実験材料にするために集められた「モルモット」であり、本当は学校に行ったこともなかった、身元が希薄な女性であるレゼの悲しさを示したタイトルと言えるでしょう。さらに、音楽ナタリーのインタビュー記事で、米津玄師は「映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でビョークとトム・ヨークがデュエットしている『I've Seen It All』がすごく好きだったんです。ああいうニュアンスがすごく合うのではないかという感覚があって、それを念頭に置きながら曲を作り始めましたね」と語っています。 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は次第に目が見えなくなっていく女性の息子への愛を描く、後味の悪い映画の代表と言える作品ですが、それゆえに後のクリエイターに与える影響も大きかったことでしょう。
さらに、前述した謎のモヒカン男の首を絞めるシーンでレゼが歌っているのはロシア語であり、その曲名は「ジェーンは教会で眠った」。ガイドブックで藤本タツキは「普通のデートの歌です。最後は教会で眠るので、普通の性格をして普通に死にたい…ということを歌っています」と語っています。
それは、『JANE DOE』でのレゼのささやかな、でも幸せなデンジとのデートを歌っているような歌詞とも、シンクロしているように思えるのです。
10:『誓いの休暇』(1959年)(※ではない?)
デンジとマキマが映画館でのハシゴをするデートで最後の6本目に見た映画の、兵士と女性が抱き合うシーンのカットは、『誓いの休暇』からの引用だと思われます。同作はパブリックドメイン化しており、YouTubeで本編が公開されています。 しかしながら、今回のガイドブックで藤本タツキは「(映画の内容を)特に決めていません」と明言しています。しかも、『誓いの休暇』は劇中で言われているような「難しくてよく分からないって評判の映画」ではまったくないですし、該当のカットも「すげえどうでもいいシーン」とは真逆の重要な場面であるため、同一視はしないほうがいいでしょう。しかしながら、デンジとマキマが見たのが仮に『誓いの休暇』だとするならば、2人がなぜ涙を流したのか、その理由の考察も広がります。同作は比較的ハートフルなロードムービーながら、戦争がいかにささやかな幸せを奪ってしまうのかを描いた、反戦映画の傑作中の傑作なので、ぜひ見てほしいです。
あらすじは、心優しい兵士が特別に6日間の休暇を与えられたため、往復だけで4日もかかる故郷の母のもとへ向かうというもの。宮崎駿監督もお気に入りの映画で、『魔女の宅急便』での「主人公のキキが列車の藁(わら)の中で眠る」シーンをほうふつとさせる場面もあったりします。
そして、途中で出会う少女と「お互いに好意を寄せていたかもしれない」のに「それはこのわずかな時間だけで、そのあとは永遠の別れをするしかない」という悲劇性は『レゼ篇』の物語とも一致します。また、『誓いの休暇』がソ連の映画であることも、ソ連からやって来たレゼの境遇とシンクロしているとも言えるかもしれません。 さらに、『レゼ篇』のマキマは「友達が田舎の方に畑を持っていてね、毎年秋頃に少し仕事を手伝いに行くんだ」とも言っており、これは『誓いの休暇』でわずかな時間だけでも母に会いたいと願った兵士の気持ちと、部分的に一致しているようにも思えるのです。
10本に1回くらいしか面白い映画には出会えないかもしれない。それでも……
重要なのは、劇中の映画が『誓いの休暇』なのかどうかよりも、デンジが「あのラスト、絶対 死ぬまで忘れないと思います」と言っていることでしょう。ガイドブックでは藤本タツキは「映画そのものは面白かったわけではないのかもしれない。自分でもそう思うことはあっても、『あのシーンだけは面白かった』ということを覚えていることがあります。それを誰かと共有できるのは幸せですね」と語っています。
その通りで、映画を見た後の誰かとの感想も共有も、映画を見る醍醐味(だいごみ)ですし、ひいてはどんなことがきっかけでも「誰かと同じ気持ちになる」ことは、それがたとえ一時的なことであっても、とても尊いことなのかもしれません。デンジとレゼも、たとえ刹那的であっても、同じ幸せを共有していたのかもしれません。
さらに重要なのは、マキマの「私も10本に1本くらいしか面白い映画には出会えないよ。でもその1本に人生を変えられたことがあるんだ」という言葉。さすがに極端な確率ではありますが、映画には人生を変える力さえあると信じている、藤本タツキの映画への愛情がはっきりと表れている言葉だと思うのです。
余談ですが、藤本タツキの初連載作品『ファイアパンチ』の劇中では熱狂的な映画マニアの「トガタ」というキャラクターが登場しており、「面白ければなにしてもいいんだよ、映画は」などの危うい言葉を告げる場面もあります。こちらでの映画への思いは愛情を超えて狂気へと突き進んでいるため、併せて読んでもきっと面白いでしょう。
やはり映画への愛情がたっぷり
さらに『チェンソーマン』はテレビアニメのオープニングでも『悪魔のいけにえ』や『貞子VS伽椰子』や『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』などの映画のパロディがあったり、単行本の折り返しの作者コメントでも藤本タツキが好きな映画を挙げていたりと、やはり映画からの引用、いや愛情を多分に詰め込んだ作品と言えるでしょう。 『チェンソーマン』の原作が300万部を突破した時、藤本タツキは「とにかく自分の好きな作品を詰め込んでできているのでそれが伝わってくれているのなら嬉しいです!」ともコメントしているので、むしろそれをインタビューで伝えることが、彼にとっての「やりたいこと」だと、読めばこそ伝わってくるのです。ほかにもガイドブックでは、藤本タツキが「アニメ『トップをねらえ!』で爆音のBGMで盛り上がっていく演出をやりたかった」ことや、編集者の林士平からの「映画および小説の『悪の教典』を思い出した」ことも語られています。
さらに、米津玄師との対談動画では、藤本タツキはNetflixで配信中の『喪(うしな)う』のある1つのシーンで「俺のために作られた映画だ!」と思ったことも熱弁しています(動画の23分20秒ごろから)。 そんなわけで、『チェンソーマン』に込められた映画の元ネタやリスペクトを語るとキリがないというわけですが、何より今回の『レゼ篇』をきっかけに、それらの映画に触れるきっかけになれればいいなと、映画ファンの筆者としても思うばかり。この『レゼ篇』のほかにも、あなただけの「10本に1本の人生を変えられた映画」を見つけてみてほしいです。
この記事の執筆者:
ヒナタカ
映画 ガイド
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。
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