5:当時の「世界の縮図」があり、今も他人事ではない
本作の企画・脚本・プロデュースを務めた増本淳は、「映画にしようと考えたのは、この船での出来事にコロナ禍の問題の多くが内包されていると感じたからです」と語り、さらに以下のようにも続けています(プレス資料から引用)。「新型コロナの本質は未知なるものへの恐怖です。危険だから怖い、のではなく、危険かどうかすらよくわからないから怖い、という類のもので、そうした恐怖は差別へとつながっていきます」
「あの時、地球全体、人類全員に起こったことが、世界に少しだけ先んじて、船の中という縮小された世界で起きていたのだと感じました。この船の中で起こっていた出来事はきっと世界各地で起こっていた出来事と同じで、皆が自分のことだと思って見てくれると思いました」
その言葉を裏付けるように、劇中ではまさにコロナ禍だった当時の「世界の縮図」にも思える事象が登場します。

もちろん、「新型コロナウイルス」というものは、当時“未知の存在”であり、今後どうなっていくかが分からず、その時取るべき行動についても「何が正しいのか分からない」と多くの人が思っていたことでしょう。では、主人公たちは何を正しいと信じて行動していくのか……その答えは簡単ではありませんが、それでも指針となるのは、劇中でも言及されている通り「人道的な正しさ」であると、強く思えるようになるのです。

そして何より、恐怖と差別が広がる状況の中でも、自らの命の危険と向き合いながら、人道的な正しさを持って現場で行動し続ける人々の姿を丁寧に描いた本作には、今こそ見る意義があると、改めて思えるのです。
今も必死に世界を修復しようと頑張っている人々がいる
最後に、映画の完成に寄せた、関根光才監督のコメントも引用しておきましょう。「いつの間にか、世界のほころびは大きくなってしまいました。いつまた、このような危機が起きるかわかりませんし、その時には自分で判断して行動しなければならない時代になったと感じています。けれどその裏側で、いまも必死に世界を修復しようと頑張っている人々のことを考えれば、この物語から感じとれる何かがあると思います。この映画が公開されたら、様々な意見や議論が飛び交うかもしれませんし、そうあるべきだと思っています。けれど、私たちが立場の違う誰かをただ誹謗するのではなく、話し合ってお互いを理解しようと思える、そんなきっかけをこの映画が作れたらと願っています」
「立場の違う誰かをただ誹謗するのではなく、話し合ってお互いを理解する」。関根監督の、この言葉通りにつながる気付きや議論が、『フロントライン』から呼び起こされることを期待しています。
この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。